5月末にお稽古会が終わったばかりなのに、10月に予定された能楽の会(鎌倉梅栄会10周年)に参加することになり、紀彰先生のご指導の下、『雲林院』クセを舞うことになってしまった。

野村四郎先生の仕舞入門を読んで、DVDも観て、『雲林院』のキリにしようと願い出たけど、紀彰先生はご納得頂けず、同じ『雲林院』ならばクセにしなさいと。無理なものは勧めません、とまでおっしゃるので、この際、師匠を信じて、予備知識なくして、『雲林院』のクセに挑戦することになった。

 

詞章と型付けだけは手に入れて、空想的にお稽古開始。今月中のお稽古で、紀彰先生のお手本を見せて頂いてから、本格的にお稽古の予定。

そこで、まずは、詞章の解題など。仕舞は、謡ができなければ、詞章の意味が理解できなければ、舞えないのだ、と深く自覚している。

 

能『雲林院』は2020年2月に喜多流のを鑑賞しているけど、記憶の彼方に飛んでいる。ブログには、寝た、と。

で、全体のストーリーは、ほとんど理解していなかったのだけど、簡単に追う。

ワキ芦屋の里の公光は「伊勢物語」が好きであったが、あるとき都に上って雲林院に着くと、前シテ老人が現れて、「伊勢物語」の問答の内に、自分は在原業平の幽霊であると告げて、消える。木陰で寝ていると、夢の中に、後シテ在原業平の幽霊が現れ、「伊勢物語」にある業平と二条の后の恋の逃避行を語って、舞う。夢が覚めて後シテも消える、というもの。

 

クセは、後場の、業平と二条后の逃避行の様子の謡と舞。

 

二条后は、本名藤原高子(コウシ、とも、タカイコとも)で、高貴な人物であって、その当時18歳。業平は35歳。間もなく入内することが決まっているのに、忍び会っていたが、あるとき、業平が二条后を内裏から連れ出して(背負って)、芥川なる川のほとりまで逃げるが、怒った后の兄弟が、連れ戻す。この事件によって、業平は都におられず、東国に下向したとか。

高子は、後に入内して、清和天皇の中宮となる。

これが「伊勢物語」にある。

 

以下、詞章。素人訳ですから、信じないように。

 

「如月や まだ宵なれど月は入り」

旧暦2月、月は隠れた暗闇の宵の頃。

 

「我等は出づる 恋路かな」

業平と二条后は、内裏を抜け出る。恋の道。弘徽殿から連れ出したのだ。拉致に近いかな。少なくとも、駆け落ちではない。

 

「そもそも日の本の 中に名所と言ふことに 我が大内にあり」

なぜこの詞章になるのか良く解らないけど、内裏の中が一番の名所だ、と。

 

「彼の遍昭がつらねし 花の散り積もる 芥川を うち渡り」

六歌仙の一人の、僧正遍昭が歌に詠んだという、花の散り積もる芥川。そこを渡って。

この歌は発見できていない。そんな歌があるんだねえ。ともかく、芥川は有名な川。

 

「思い知らずも 迷い行く」

どこに行くかも知らず、思いのままに、迷って逃避行。

 

「被ける衣は 紅葉重ね 緋の袴 踏みしだき」

二条后の着しているのは、紅葉重ねの衣に、緋色の袴。

 

「誘い出づるや まめ男」

誘惑して連れ出したのは、まめ男。業平は、まめ男、と呼ばれる。伊勢物語の中で。

 

「紫の 一本結いの 藤袴 萎るる 裾をかい取って」

一方、業平は、紫の、藤色の袴。芥川を、二条后を背負って渡るのに、裾を持ち上げる。

 

「信濃路や 園原茂る 木賊色の 狩衣の」

信濃路や、から、茂るまでは、次の木賊にかかる、かかりコトバではないか。つまり、業平は木賊色(深い緑色)の狩衣を着ている。

 

「袂を冠の 巾子(こじ)に うち被き」

巾子(こじ)というのは、貴族が被っていた冠の、後ろ側の高く盛り上がった部分。髷を納める。そこの上部に、業平は狩衣の袂を担いでいる。芥川を、おぶって渡るのに、袂が濡れると嫌だから。

 

「忍び出づるや 如月の 黄昏 月もはや入りて いとど朧夜に」

このときの景色状況。繰り返しですね。

 

「降るは 春雨 落つるは 涙かと」

冷たい雨がそぼ降っている、涙も流れる。

 

「袖打ち払い 裾を取り しおしお すごすごと 辿りたどりも 迷い行く」

何となく解りますね。風景の中での、業平の様子。袖をかかげて、裾を持ち上げ、二条后を背負って。しおしお、すごすごと、迷い歩くのです。

 

仕舞は、こういう状況下の後シテ在原業平。男です。35歳。18歳の高貴な女子をさらって、逃げている様子。

まあ、こんな調子で舞えるか。

 

ところで、あれこれ調べているところに、六歌仙が出てくる。古今和歌集にある六歌仙。在原業平、僧正遍昭、喜撰法師、大友黒主、文屋康秀、小野小町の6名。らしい。詳しくは知らなかった。

本仕舞の詞章には、このうち、2名が登場する。

驚いたのは、この六歌仙の覚え方。

「お惣菜は気分だい」だって。

小野小町の「お」、僧正遍昭の「そ」、在原業平の「ざい」、喜撰法師の「き」、文屋康秀の「ぶん」、大友黒主の「だい」。

これで覚えろって、中学生向けの学習塾。

アホか、これじゃあ、全員が日本史が嫌いになる。もしこんなことが、六歌仙の名を挙げよ、等という試験があったら、無視すべし。もしこれがどこかの受験に使われたら、そんな学校には入るな。