5月12日(水) 国立能楽堂

狂言 『孫聟』 (和泉流 野村萬家)

  シテ(祖父)野村萬 アド(舅)野村万禄 小アド(太郎冠者)能村晶人 小アド(聟)野村万之丞

(休憩)

能 『六浦』 (喜多流)

  シテ(里の女 楓の精)中村邦夫 ワキ(旅僧)則久英志 アイ(里人)野村万蔵

  笛:杉市和 小鼓:大倉源次郎 大鼓:國川純 太鼓:小寺佐七 地頭:香川靖嗣

  面:小面

 

今月は、2度目の能楽公演で、これだけなのだ。今月は少ない。

いずれも初めての曲。

 

狂言『孫聟』。孫の聟が婿入りするために舅宅に来るが、そこの祖父様が色々、口を出してくる話。

出演が、シテ祖父(おおじ、と読む)を野村萬1930年生まれ91歳、アド舅を野村万禄1966年生まれ55歳、小アド聟を野村万之丞1996年生まれ25歳という、文字通りの3世代で、曲どおりの配役。

シテ祖父は、年齢から言っても、家の構成上も、既に引退して、隠居のハズ。だから、孫の婿入りは、舅が仕切るのが当然と言えば当然。だから、まず、舅は太郎冠者と、シテ祖父を出かけさせて、留守中に行事をやってしまおうと共謀して画策。

一方年長者で、暇なシテ祖父は、経験豊かであるし、自分がいなければダメだと、何かと口を出してくる。

若い溌剌としたアド孫聟は、礼儀正しく、長寿の祖父が健在でいると聞いて、会いたいと。酒も勧められるままに祖父とやりとり。率直なのです。

困ったのは舅と太郎冠者だけど、正面切って、来るなとも、引っ込んでいろとも言えない。舅は宴会でも仕切れないまま。

その3人三様の、いや、太郎冠者も入れて、4人四様の人間模様、心理劇。

最後は、シテ祖父はアド孫聟を隠居部屋に連れて行こうとするが、さすがにそれは阻止して、アド舅とアド孫聟は、別部屋で宴会続きで、シテ祖父は置いて行かれてしまう。それでも、シテ祖父は、事態を認識しない。

我が年齢も、67歳に達し、身につまされるねえ。

老醜ほど威張っていないし、結構祖父は善意だし。でも、老いては子に従え。しかも、家長は明らかに舅だし、自分の娘の婿入りなのだから、舅が一番は当たり前。舞台上の座位置は、トップの位置。ちょっと離れて、シテ祖父、脇に太郎冠者、向かいに孫聟という位置。

太郎冠者も、舅が主人なのだけど、先代の言うことには従わざるを得ない。口を挟む地位では無いけど、舅の応援団。

孫聟は、如才なく付き合う。舅を無視することはないが、年長者の祖父も有り難い。疲れるだろうね。

面白い狂言でした。心理劇も堪能。

 

能『六浦』。このお能の舞台になっているのは、相模国六浦(神奈川県)の称名寺。横浜市金沢区金沢町。シーサイドライン海の公園南口駅か、京浜急行金沢文庫駅から歩いて行ける。以前に、散歩したことがあって、なかなかよろしい、由緒ありげなお寺だなあ、と感心していた。そこが舞台になっているお能があるなんて。その時は、まったく、関心も無かったから知らなかった。年に一度薪能もあるらしい。

物語は、ワキ都の僧が東国廻の旅の途中に寄ると、山の紅葉は盛りなのに、称名寺の庭の一本だけが、色づいていない。そこに現れた前シテ里の女に謂われを聞くと、かつての昔、中納言藤原為相(ためすけ)が、逆に、山々の楓は色づいていないのに、その一本だけが色づくのを観て、一首。

「いかにして このひと本に 時雨けん 山に先立つ 庭の紅葉葉」

これで誉められた楓は、名誉に感じて、以後色づくのを止めてしまった。

このときの詞章が、

「功なり 名遂げて 身退くは これ天の道なり」

どこかで聴いたことがある詞章だけど、お稽古中の仕舞『船弁慶』クセで、出てくる。有名な言葉なんだ。決まり文句というか。老子らしい。

中入り後は、後シテ楓の精が登場して、クリ、サシ、クセ。クセは何となく解ったんだけど、未だ、クリとかサシとか、意味を理解できていない。

クセの舞は、基本型が多くて、観ていて解りやすい。

その後は、序ノ舞。これも優雅な舞。

舞の曲なのですね。取り立てて意味のある物語では無いし、激しい盛り上がりの、序破急の展開もない。済みません。囃子の心地よいリズムに身を任せて、ウトウト。良い気持ちでした。

ワキ旅僧は、当初発表では殿田謙吉さん。休演のため交替。殿田さんは、能を見始めた頃から良く観てきたワキ方で、一旦会えなくなって、復活したときに、頬がこけていて大丈夫かしらんと心配していた。今回、休演で、さらに心配。だけど、代ワキの則久さんは、中堅の若手で、声も大きくて、立派で、良かったですよ。ワキツレが繰り上がって、野口能弘さん、大日方寛さん。

 

こういうのんびりしたお能も、緊張感は無いけど、悪くないと思う高等遊民。