今年3月21日(日)に開催された、狂言方大蔵流山本会別会公演中、「しびり」のシテについてのワタクシの記述が、過ちであったので、ここに謹んで訂正致します。

 

ワタクシは、この「しびり」で、シテの太郎冠者役が、5歳の山本則光ちゃんであったことを、理由を知らないままに、5歳にしては上手、でもこどもにやらせる必要があるのか、顔見世興行か、等と記載しました。

 

これを読んで頂いたさる御方から、大蔵流の考え方をお知らせすると、本を3冊頂きました。

その中の、「中・高校生のための狂言入門」(山本東次郎・近藤ようこ著、2005年初版発効)に、次のような記載がありました。若干表現を変えています。

 

大蔵流では、「靭猿」から始めることはしない、「伊呂波」か「しびり」のどちらかのシテをやらせる。「靭猿」の猿は演じ方の決まりがあってないような曲。しかも全員で支えてくれる役なので、主体性がない。ところが「伊呂波」や「しびり」は、短い曲だけど、そのこどもがシテとして自分の責任で終結させないといけない。その厳しさを初めての舞台で覚えさせるということ。

シテはこどもだけど、ちゃんと自分の責任で一曲を集結させないといけない。それは、狂言を一生の生業とする人間にとって、他人任せの初体験はいけないという大蔵流の主張でもある。

 

失礼しました。わが無知を恥じ入るばかり。

”猿に始まり狐で終わる”というコトバは、和泉流だけだったんだ。萬斎さんの発言力にみんな引っ張られたかな。

言い訳ですが、則光ちゃんは、既に「しびり」のシテの前に、「靭猿」の小猿を演じていて、涙して観たモノですから。

 

ゴメンナサイ、というしかありません。

 

先行自白すると、3月21日の山本会別会のブログ中には、もう一箇所、やや書きすぎの箇所がありました。

それは、「翁」の千歳です。

シテ方が上掛かり2流(観世、宝生)の場合には、千歳はシテ方の若手が勤める(面箱持ちは狂言方)のだけど、下掛かり3流(金剛、金春、喜多)の場合には面箱持ちも千歳も同一人物の狂言方が勤める。

山本会は、狂言方主催の公演だから、千歳を自ら勤めたくて、配役の決定では、シテ方の下掛かりにお願いするのだろう、と。このときは喜多流でした。

狂言方主催の会ですから、わざわざ上掛かりのシテ方をお願いすることはないのでしょうが、「千歳を舞いたいから」などという下賤な表現でした。

 

ところで、なんで「翁」の千歳は、上掛かりはシテ方が勤め、下掛かりは狂言方が勤めるのだろうか。しかも、面箱持ちと兼ねて。

翁渡りの順番にも影響する。

上掛かりでは、面箱持ち(狂言方)、翁、千歳(狂言方)、三番叟(三番三)(狂言方)の順。

下掛かりでは、千歳(面箱も持って)(狂言方)、翁、三番叟(三番三)(狂言方)の順。

そういうモンなのかも知れないけど、何故、が根本的なボクの疑問で、ド素人の疑問ですが、何か、歴史的な理由があるんでしょうが、そこが知りたいです。

最近出版された、翁プロジェクトの「翁の本」にも、理由は書いていない。この本は、やや観世流シテ方に偏っている気がする。

東次郎さんの著作中には、まだ読んでいないけど、「翁」についても詳しい記述があるようなので、期待します。