号す、なんて格好いいけど、気分だけはホントの高等遊民になって。

 

長流水は、納音(ナッチン)で、これについては、2018年9月の、始めたばかりのブログに書いてある。

この頃は、マイルームを作り上げて、これを、長流水庵と号しようという感じでありました。

 

が、部屋のカスタマイズはうまく行かず、庵と号すほどのモノではなく、荷物が散らかっている状態のママでした。

 

でも、納音はそのまま残して。

 

最近、仕舞のお稽古で『船弁慶』クセを選んで、指導を受けているのですが、その詞章から、詞章の意味から勉強せねばならぬと心得て、読んでみたところ、まったく解らない。

 

敢えて、ここに記してみると、前半。

「然るに勾践(コウセン)は 再び世を取り 会稽(カイケイ)の恥を雪(スス)ぎしも 陶朱(トウシュ)功を成すとかや されば越の臣下にて まつりごとを身に任せ 高名 富 貴く 意(ココロ)の如くなるべきを 功なり 名遂げて 身退くは 天の道と心得て 小船に棹さして 五湖の煙濤(エントウ)を楽しむ」

とあります。

 

司馬遷の『史記』からのお話しでした。調べてみて初めて解る。

 

勾践(コウセン)は、越国の王様=国王であったが、一旦、呉国に敗北した。これが会稽(カイケイ)の戦い。呉国に服従していたが、再び世を取り、つまり越国を復活して、会稽の戦いで負けた恥を雪ぐことができた。が、この勝利復権に功があったのは陶朱(トウシュ)という有能な臣下であった。陶朱は、越国の臣下でありながら、越国の政治は心のままに動かすことができ、名は高く、富も得、貴いと敬まわれ、功績もあって、名も上げたが、そこで、突然に自ら退いて田舎に戻って隠居した。それは天の道と心得たからである。隠居後は、自然の中で、小さな舟に乗っては、湖の煙と波を楽しんだ。

 

まあ、悠々自適の生活を楽しんだ、ということ。

 

『船弁慶』クセの後半は、この様な例もあるのだから、義経も西海に落ちていっても、頼朝によくお話しして、身の潔白を訴えれば、兄弟のことだから、仲は復活するよ、という静御前の詩、です。

 

気に入ったのは、陶朱の生き様。政治的には国王に匹敵する地位にあって、思う存分働け、この世の春を謳歌できるのに、潔く身を引いて、田舎に引退する。

こういう身の処し方。

陶朱は大金持ちであったから、悠々自適の生活を送ることができた。

ワタクシは、口に糊するに足るだけの収入しかないが、まあまあ、趣味の生活には事欠かずにいられるので、高等遊民。

この違いはあるモノの、我が理想とする老後、引退後の生活と、似通うモノがあって、陶朱に心引かれるのです。

 

昔の日本人も、そういう気質があったから、司馬遷『史記』が人気になって、お能の詞章にも用いられ、結構人口に膾炙していたのでしょう。

 

そこで、これに習って、我が「号」を、納音と組み合わせて、長流水陶朱とせん。

メールの署名には、「自称高等遊民(長流水陶朱)」と肩書きするようにしました。

弁護士引退から2年半が経過しての、お遊びです。