2月19日(金) 国立能楽堂

狂言 『塗附』 (和泉流 三宅家)

   シテ(塗師)高澤祐介 アド((何某)三宅右矩 小アド(何某)三宅近成

   笛:赤井啓三 小鼓:幸正昭 大鼓:亀井洋佑 太鼓:小寺佐七

(休憩)

能 『砧』・梓之出 (観世流 九皐会)

   シテ(芦屋の妻 芦屋の妻の霊)大槻文蔵 ツレ(夕霧)大槻裕一 ワキ(芦屋某)福王茂十郎

   アイ(下人)三宅右近 地頭:梅若実

   笛:赤井啓三 小鼓:幸正昭 大鼓:亀井忠雄 太鼓:小寺佐七

   面:前シテ・深井(洞水作) 後シテ・痩女(栄満作) ツレ・小面

 

席数半減で、市松席。予約が困難で、GB席になってしまった。しかも、橋掛かりから2席目で、囃子方はシテ柱に丁度被ってまったく見えない。

新しい「翁の本」を購入。翁プロジェクト作成という、日英語の翁の解説本と言うこと。残念ながら、大したことは無い。

 

狂言『塗附』、初めて。大名らしきアド二人が、被っている烏帽子が剥げていて、新年に親方のところに行くのがみっともないなあ、等と話している。烏帽子って言うのは、何か布か何かの上に漆を塗って、固めているのだね。そこに、たまたま通りかかった早いですよ、上手ですよと言うシテ塗師に、早塗り修理をお願いする。被ったままでも塗れて、すぐに乾かせるから、明日の新年でも間に合うと。そこで、頼むのだが、乾かすのに風呂という湿度を与えるものに入れ、と。二人してその風呂を被ると、乾かす間に二人の烏帽子がくっついてしまう。困った、と。そこで何故か囃子をしてなんとか剥がそうと。二人が風呂を被った状態で、シテ塗師が囃して舞う。いつもの、狂言の囃子舞だ。と、それで剥がれて、おめでたや、というお話し。

何だか良く解らないけど、烏帽子のことや、職人の有様、漆の塗り方など、風俗が見える作品か。和泉流だけらしい。

 

能『砧』、DVDがあって内容は良く解っている。2018年6月に横浜能楽堂で観て以来。この頃はまだブログがない。能鑑賞でも、まだ6番目という初期鑑賞。

今回は、シテが大槻文蔵、大鼓亀井忠雄、地頭梅若実という3人人間国宝の出演が楽しみ。

始まって、囃子方や地謡が入場すると、何の囃子もなくして、静かな状態で、前シテがしずしずと橋掛かりから登場。そのまま笛座前に、葛桶(床几)に着座。これはチトビックリ。まずワキ芦屋某とツレ夕霧が出てきて、ツレ夕霧に芦屋へ帰れと命じて、帰ってから前シテ芦屋妻に挨拶するという流れだが、今回は、前シテ芦屋妻が舞台上に出ていて、ワキ芦屋某とツレ夕霧が名ノリ笛で出てきて、会話して、ワキ芦屋某は退場、ツレ夕霧は橋掛かりで振り向いて、そこで、舞台上は芦屋の館になって、そこにいる前シテ芦屋妻に語りかける、という演技。なんでも、「出シ置キ」の演出だと。

そのまま、ツレ夕霧と前シテ芦屋妻の掛け合いで、砧を打って懐かしむが、そこに、今年の年末にも帰れないという連絡が入って、悲しみのあまり前シテ芦屋妻は死んでしまう。

ここの、驚愕の有様と、気落ちの風景、ゆっくりと橋掛かりを退場する動きが、悲しみに溢れていて、秀逸。

アイの後、ワキ芦屋某が帰国して、死を知って、例の梓弓で霊魂を呼び出す。梓弓の霊呼び出しは、『葵上』にもあったなあ。

登場する後シテ芦屋妻の霊は、「泥眼」面と期待していたらば、違う。後で「痩せ女」と紹介されていた。

執心のあまり、砧を打ったりするが、法華経の読誦によって、成仏する。その最後のキリが、この曲は、静かな、悲しい謡と舞で、序破急ではなくて、趣と余韻がたっぷり。地謡も良かったし、ここの後シテ大槻文蔵は、さすが。

後シテ等の退場まで、会場はシーンとして、余韻と緊張感が残る。

シテツレの大槻裕一は、大槻文蔵の芸養子だと。実子ではないのだね。赤松さんというシテ方の人のこども。芸養子って何だろうか。大阪の大槻能楽堂とその面、装束などの継承者と言うことかな。戸籍上も養子になったのだろうな。だからかな、今回使用の面は、なかなかのモノ。

梅若実の地頭も、素晴らしいお声で良かった。2月11日の梅若会定式能は、前日に入院したとのことで欠席。仕舞『頼政』の代役が紀彰先生だった。さて、今回の地頭はどうかしらと思っていたが、椅子に着座しての謡だったけど、入退場時には、気を遣われながらも自分で歩いていた。入院といっても大した病ではなかったと言うことだね。梅若会の定式などで、続けてドタキャンしていたから、どうなのかしら、と心配だったが。

ここで人間国宝が二人で、シテと地頭だから、位を合わせるには、大鼓も人間国宝でなければならないか。

そんなことを考えていて、お能に集中できなかった面もあるけど、眠くならなかったし、素晴らしい曲で、素晴らしいシテで、良かったです。

世阿弥作の曲で、世阿弥は、後の世の人は誰にもこの曲の真価はわかるまい、と言ったとか。「申楽談儀」で。現代でも、良さは解りますよ。曲も良いし、役者が良いと、倍加する良さ。