2月11日(木・祝) 梅若能楽学院会館

解説 梅若長左衛門

小舞・仕舞  『海人』

  山本則重(狂言方 大蔵流 山本東次郎家)

  三宅近成(狂言方 和泉流 三宅家)

  角当直隆(シテ方 観世流 梅若会)

独吟 『景清』

  三宅右矩(狂言方 和泉流 三宅家)

  山本則俊(狂言方 大蔵流 山本東次郎家)

  角当行雄(シテ方 観世流 梅若会)

(休憩)

  仕舞 『頼政』 梅若紀彰(シテ方 観世流 梅若会) 地頭:山崎正道

  小舞 『通円』 三宅右近(狂言方 和泉流 三宅家) 地頭:三宅右矩

      『通円』 山本東次郎(狂言方 大蔵流 山本東次郎家) 地頭:山本則俊

鼎談

  司会:梅若長左衛門

  三宅右近 山本東次郎

 

仕舞『頼政』は梅若実の予定だった。鼎談も梅若実と3人の予定であったが、体調を崩して、入院ということで、急遽『頼政』は梅若紀彰に交替。鼎談も、長左衛門が参加して、司会という立場で。どうやら、三宅右近、山本東次郎、梅若実の3名は、若い頃から色々と遊び歩いた関係だったらしい。

 

梅若会の定例の定式能だけど、能は狂言はやらずに、同じ曲を、能シテ方と狂言方、3家が演ずるという、初めての企画。それぞれやりにくかろう。特に、狂言方の小舞は、それだけ独立して上演されることはまずなくて、せいぜいが1曲の狂言中の一コマ。独吟もそう。狂言方は苦しい会だったのではないか。

シテ方は、まあ、いつも通りでよろしいので。

こういう企画は、やや寂しい面もあるが、新しい試みで、面白いところもある。

 

『海人』は、有名な「玉之段」を、3家3様に。

大蔵流山本東次郎家では、練習のために謡い、舞っているだけらしい。思い出したけど、いつだったか、横浜狂言堂での東次郎さんの会の時、終わりのお話しの中で、突然に「玉之段」をやることになって、東次郎さんが舞って、他の方が楽屋から呼び出されて地謡を務めたことがあった。あのときも、まあどうして、こんなにすぐにできるのだろうかと不思議だったが、いつもの練習の成果なのね。

和泉流では、狂言の『寝音曲』の中で使われる謡と舞らしい。

角当直隆さん、梅若会の仕舞は、地頭に梅若紀彰先生が出ていられて、相変わらずの声量と良い声で、圧倒。

 

『景清』の独吟。「陸(くが)に上がれば源氏の強者・・・」という箇所を、お三方が熱唱。取り分けて山本則俊さんは、ご高齢なのに、精一杯の謡で、素晴らしい。

 

仕舞『頼政』は、紀彰先生の仕舞。能の『頼政』は見たことがないから、よくシーンは解らないけど、宇治川を越えて平等院側に攻めてきた平家方の武者に対して、高齢の、源三位頼政がその若武者の奮戦ぶりを見つつ、敗北を悟って、自害するシーンではないのかな。前半は、葛桶に座って足を少し動かすだけで、左右を見つつ、後半は立ち上がって、戦いと扇に座っての割腹。

予期せずに、紀彰先生の仕舞を見せていただいて、感激。舞もピタリと決まっていた。でも、ホントにピンチヒッターらしいが、よく出来るね。前日の夜に出演が決まったらしい。当日の午前中に、少し復習したのだろうか。それでも、あれだけ出来ちゃうんだね。

 

小舞『通円』。狂言の『通円』は2018年10月にシテ通円野村万作で観たことがある。『頼政』のパロディー。その中の一部を小舞にしたのでしょう。過去のブログを見ると、狂言『通円』は、面も使って、囃子方も出て、ほとんど能に近いと書いてある。内容は、お遊びのパロディーだけど、それなりにお能に近いのだね。

三宅右近の小舞『通円』は、扇で謡って、舞っていた。

が、山本東次郎のは、茶碗と茶筅、柄杓を持って舞う。ホントにお茶を点てている仕草。それを割って(と詞章では言っていたが、置いて)、背に挟んだうちわを持って、舞う。今回の特別演出なのか、東次郎家ではこういう型なのか。最後に大小前に戻って終わる時、下に居で後ろからお扇子が渡されて、例の、前に置いて、右に回して、それから腰に差して退場という正式な型。

なるほど、となんだか納得。

 

鼎談は、山本東次郎さんの、知識と教養があふれ出て、しかも、謙遜した佇まいと物言いで、素晴らしい。

芸術院会員で、人間国宝というレジェンドになるには、謡や仕舞の基本がしっかりと出来ていることは最低条件の基本で、その上で、日本の伝統芸能の継承者として、研究、知識獲得、それを活かす教養が必要なんだろうな、と。

高等遊民、到底及ばないのは当たり前だけど、そうなりたいモノだ。