12月18日(金) 国立能楽堂
狂言 『悪坊』 (大藏流 宗家)
シテ(悪坊)大藏彌太郎 アド(出家)大藏基誠 アド(宿屋)大藏吉次郎
(休憩)25分
能 『邯鄲』・盤渉 (観世流 銕仙会)
シテ(蘆生)観世銕之丞 子方(舞童)谷本康介 ワキ(臣下)森常好 ワキツレ(臣下)舘田善博、他
アイ(宿の女主人)大藏教義
笛:松田弘之 小鼓:曽和正博 大鼓:大倉慶之助 太鼓:前川光良 地頭:浅井文義
面:邯鄲男・・当たり前か
この日の番組演目も、1750年の神田筋違橋勧進能の演目らしい。月間テーマだから。
狂言『悪坊』は初めて。良く解らない狂言でした。
アド出家が、西近江から東近江に出かけるのに、ベロンベロンに酔っ払って長刀を持つシテ悪坊に呼び止められて、同道を強要されて、一緒に宿に泊まらせられるが、酔って寝た間に、アド出家が、長刀と立派な小袖を取り上げてしまって逃げ去る。起きたシテ悪坊は、替わりに残された粗末な小袖、唐傘、なんとか言っていた座禅時に身体を押さえる道具を見て、これこそ、と思って、改心し、信心する、というモノ。
何じゃこりゃ。悪坊も坊さんなんだよね。多分高位の。アド主家はまだ位が低いのか。それが改心するというお話しか。
シテ悪坊が登場して寝込むまでの、くどいくらいの大げさ、大仰な酔っ払い足使い。ふらふらしすぎなんじゃないかなと。もっと全身で酔っ払いを表現した方が良いと思います。ヨロヨロ足だけじゃあね。
勧進能では、こういう高位の、酔っ払いな、狼藉的僧の改心の話しが受けたんだろうか。
能『邯鄲』、観たかったんです。初めて生で見ました。YouTubeやら何やらでは観ていたんで、ストーリーも、山場も頭に入っていましたが、さて、本物は。しかも、シテは銕之丞先生。
アイ語りから始まる。橋掛かりにシテ蘆生の銕之丞先生が登場。やはり、これだけで、ピリッとする。ゆっくりと、しっかりと。一の松すぎた辺りで、後見座の方を向いて名ノリ。良い声だ。後見座の方を向いて語るのは何故か。
邯鄲の里について、宿に入って、葛桶に腰掛けてアイと語る。こういう、狂言方との語り合いは、シテ方とうまく行くのかと思っていたけど、大丈夫なんですね。狂言方が合わせるのかな。
粟飯を作るまで、一睡せんと、一畳台の上の邯鄲のマクラに横たわる。とたんに、お扇子が2つ打ち鳴らされて、いつの間にかすでに登場してきていたワキ(臣下)に起こされて、皇帝になれと。この急変がよろしい。用意された御輿に入って、宮廷へ。
宮廷になった一畳台に入って、子方(舞童)の舞を鑑賞する。
この子方の舞が良かった。谷本康介君。10歳。しっかりと歩んで、きちっと座って、皇帝になったシテ蘆生に酒を勧めてから、舞う。この舞が、基本的な型の連続のようで、アレ、僕らでも出来そうな舞だよ、なんて思うけど、出来ないのです。囃子方と息をぴったりと合わせて、基本形通り、間違えずに、舞いました。10歳ですよ。
それを受けて、皇帝のシテ蘆生が舞う。まず、狭い一畳台の上で。空降りもやって。YouTubeでは、2畳分くらいの広さがあったが、今回はホントに一畳台。ここで、足踏みを多用して、キチンと、立派に。更に、一畳台から出て、子方舞童やワキツレ臣下らの前で、勇壮に舞う。豪華に。皇帝らしく。ここの囃子も素晴らしい。小書きの「盤渉」らしい。さすが、銕之丞先生。安心して、舞に集中できる。観ていて不安はない。勿論、眠くならない。これもお稽古の成果かもだけど、銕之丞先生の力量だと思います。
また、パタッと調子が変わって、子方舞童や、ワキツレ臣下らが、切り戸口からサッと消え去って、再び、一畳台の宿の大床へ、邯鄲のマクラに臥す。飛び乗るように入る型もあるらしいが、ここは銕之丞先生、急いだけど、飛び乗りはせず。
そこで、再び、アイが2つ扇を打つ。粟飯が出来たから起きろと。これで夢が覚めて、この栄耀栄華は、一瞬の夢だったのだと。これぞ、「邯鄲の夢」。
それに気付いたシテ蘆生が、顔を曇らせたりして、マクラを見つめたりして、感慨にふける様。それまでの勇壮豪華から変貌して、しっとりと、しかし、しっかりと。
知識を求めてこの地まで来たが、知識はこの邯鄲のマクラにあり、と。げに有難や、真ノ知識を得て、優美の世界ではないけど、心豊かになって、下がっていく。その心理描写が、よく現れていました。さすが・・
名曲は、名演者でなければ、真ノ感動は与えられない。
2日間家に籠もって、鬱々としていたけど、やはり素晴らしい演劇などは、観なければ。決して不要不急ではないと。