11月20日(金) 国立能楽堂

狂言 『延命袋』 (大藏流 茂山千三郎家)

  シテ(男)茂山七五三 アド(太郎冠者)茂山茂 アド(妻)茂山千五郎

(休憩)25分

能 『船弁慶』・重前後之替・舟唄替之語 (観世流 銕仙会)

  シテ(静 平知盛の怨霊)片山九郎右衛門 子方(源義経)谷本康介 アイ(武蔵坊弁慶)福王和幸 

  アイ(船頭)茂山逸平

  笛:一噌幸弘 小鼓:飯田清一 大鼓:亀井広忠 太鼓:林雄一郎 地頭:観世銕之丞

  面 前シテは「節木増」(大和 作) 後シテは「霊怪士」

 

今回の企画は、演出の様々な企画で、先月10月の、同一演目との比較公演。

 

狂言『延命袋』は大藏流。先月の『引括』は和泉流。ストーリーは同じく、ワワシイ女を離縁しようとしたら、その印(しるし)が欲しいと、なんでも良いよと答えたらば、夫を袋に頭を包んで入れて持ち帰るというお話し。

今回は、太郎冠者が登場して、狂言回し的役割。離縁状をもって里帰り中のアド妻に持って行かせられる。ことさらにワワシイから嫌だと言うが、シテ男に太刀で威される。嫌々、返事はいらないから早速帰ろうという気持ちで行くと、案の定ワワシイ妻は、激怒して、まずは太郎冠者に怒り飛ばし、夫に直接に返事をするという。この辺り、太郎冠者が、おののく様を滑稽に表すが、ややコント風な感じは茂山家だからか。

シテ男の家に飛び込んできたワワシイ妻は、アレが欲しい、これが欲しいと言って油断させておいて、持参した袋(これが巾着のような袋)を取り出して、隙を見て、シテ男の頭に被せて、持ち帰る。これはやられぬ、これはやられぬ、慌てて追いかける太郎冠者。

大藏流は、太郎冠者を登場させるだけに、よりコミカルで、太郎冠者に役割を与える。シテにしても良さそうなモノだ。

あの妻は、ワワシイのだけど、夫を必要としているのか、それとも見栄だけで、離縁を実力阻止か。

 

休憩25分は長い。今回は狂言25分だったけど。

 

能『船弁慶』は、な~んと6回目。

ストーリーは良くわかっているから、今回のブログは、演者に注目。

 

まず子方。谷本一之君、10歳。橋掛かりから登場で、あれ上手じゃん。摺り足の運び、すっくと立つ構え、ねじりの足、声、節遣い、10歳にしてはキチンと。これができないのですよ。なかなか。今まで見た子方では一番でしょ。将来有望か。シテ方観世流の谷本健吾の次男とか。谷本健吾さんは、今年3月の「3人の会」でシテとなった方。その時長男も独立した仕舞で出ていたなあ。キチンと教育している感じ。谷本家は、お能に通じるかも。

 

なんと言っても、お目当てにもなったシテ片山九郎右衛門。前場で、前シテ静が、橋掛かりから登場するが、気品が感じられる。声もよろしいし、ハコビも綺麗。主としてワキ弁慶との遣り取りの後、物着して、舞。

仕舞にもなっている「然るに勾践は、~朽ちし果つべき」まで、クセというのか、ドキドキして見始めると、案に相違せず、キチンと、決められた基本型を、きっちりと、優雅に。紀彰先生の舞と比較しても、劣らない。ああいう風に舞えれば良いんだ。

小書きによる、中ノ舞から盤渉序ノ舞への変更によって、優雅さの中にも、緊張感が感じられる舞で、美しい。笛が印象的。

「静は泣く泣く」で、烏帽子を取って、幕に入るが、そのシオリが本当に悲しそうで、その後の、狂言方アイ船頭の語りにあるように、「落涙して候」の風情。コトバだけの演出ではなくして、シテ方の舞でそう思えるのだから、素晴らしい。

後場の後シテ平知盛幽霊は、これまた迫力があって、切れが良く、無駄な動きはないし、姿勢に揺るぎがない。しっかりと腰が入っている。身体能力が必要なはず。早笛で囃子方が一変し、続いて舞働き。長刀は、一旦捨てて長物で戦うんじゃなかったかしら、別の曲だったか、今回は最後まで長刀で戦って、くるくる回って、爪先立ちも決まって、最後の退場は、スッと。

いや美しい。前場の優雅な舞と後場の勇壮な舞と、演じ分けられて、しかもいずれも揺るぎなく。さすが、京都の片山家。

 

そして、今回の小書き「舟唄替之語」に見られる狂言方アイの活躍。茂山逸平。いつもながら大きな声で、はっきりと聞き取れる。船中で、ワキ弁慶に、将来義経が再び京に凱旋したらば、西国方の舟は自分を頭領にせよとねだるのは、この小書きに寄るのだろう、初めて。

船中で、弁慶との会話で、舟唄を所望されて、下々のモノだからと断って、替わりに語り。四季になぞらえて鎧の風情を。ああいうところ、ホントに当時の武将はおしゃれだったんだろうねえ。これは、大藏流でも、茂山家だけに伝わる語りだとか、ないとか。珍しい語りを聴かせて貰った。

また船中で不吉な発言をした従者に対して、怒りをあらわにするけど、それはチトやり過ぎじゃないのかな、どうしたって、船頭でしょ、武将と違うでしょと。大げさなのは茂山家の特質か。ここは違和感。

 

地頭の観世銕之丞。うまい、力のある地頭だと、良く纏まる。安心して聞いていられる。

 

今回は、満足した能会でした。それにしても、いつも、紀彰先生の声や舞と心の中で比較してしまって、うん、紀彰先生のがうまいけど、近いななどと、お気に入りのシテ方との比較基準になってしまっている。

 

高等遊民。中級になったか。

これまでのブログの変化は、著しいモノがある(と思う)。書きたい内容も変わってきて、増えてきている。長くなりすぎ、との批判も多いけど。良いのだ。第3者の存在を意識しつつも、個人的な備忘録なのです。