11月3日(火・祝) 鎌倉能舞台

解説 「中国の能」 中森貫太

狂言 『栗焼』 (大蔵流 善竹家)

  シテ(太郎冠者)善竹十郎 アド(主人)野島信仁

(休憩)

能 『鶴亀』 (観世流 九皐会)

  シテ(皇帝)中森貫太 ツレ(鶴)野田歩花 ツレ(亀)佐藤碧 ワキ(大臣)森常好 アイ(官人)善竹大二郎

  笛:熊本俊太郎 小鼓:鵜澤洋太郎 大鼓:柿原光博 太鼓:澤田晃良 地頭:駒瀬直也

  面、全員直面

 

朝まで雨だったが、上がって、文化の日。今日は、一日文化デー。長谷寺を見学してから能舞台。終了後、常は通らぬ道を散策して、寿福寺、亀ヶ谷切り通し、を歩いて、北鎌倉へ。精進料理を堪能して、一日、文化的な。

 

解説は、中国のお能の一般論と扇(唐扇子)について。

 

狂言『栗焼』は2度目。一度目は、今でも記憶に残る、2018年9月、彦根能楽堂。わざわざ彦根まで当時行ったのだね。あのときは、茂山家だった。ブログにも簡単に書いてある。当時は、簡単にしか書けなかったんだね。

今回の善竹十郎さんは、これぞ年の功という狂言でした。栗との語らい、あれこれ言って食べてしまう姿、主人に言い訳する様。あの味わいは、よくできていたと思う。若手ではできない狂言曲かな。善竹家を見直した。

 

能『鶴亀』は、2度目。2019年1月、初めて銀座の観世能楽堂で。お正月のお能の会だった。『翁』から始まって。『鶴亀』の位置づけは、脇能として、お目出たく、さらりと。記憶にも残らない程度だった。

そういう意味では、初めて、独立したお能として鑑賞。ストーリーはほぼ無くて、皇帝の長寿を言祝いで、鶴と亀の舞、感激した皇帝の舞、という曲。とにかく、お目出たく、優雅に。

笛から始まるが、ピタッと音が出ず、プス、プスと。ビックリした。こんなこと初めて。大体、笛のピーッと言う高い音色から次第が始まるのだけど。しかもこの曲は、真ノ次第のハズで。一変してしまったが。

ワキは重き役割だけど、セリフも一言二言だけ。後はずっと座って、鶴、亀、皇帝の舞を鑑賞しているだけ。

ツレの二人は、小学6年生だそうで、鎌倉こども能で学んできた子達。きちんとした能楽師では無いが、きっと、二人で囃子の録音などを聴きながら、ホントに一生懸命練習したのでしょうね。可愛いというほどの子供では無いが、まあ子供が、一生懸命習ってきたとおり、二人揃えて、型をキチンと守って舞う姿は、それはそれで感動的。本日の舞台は、この二人の舞で、決まりか。

鶴さんと亀さんは、面を付けず、直面で。前回は、面を付けていたから、今回との違いは、危険性からか、それとも能楽師では無いから面着用を許されなかったからか。

でも、とにかく、一生懸命、正しく、揃って、かわいさと言うよりは努力の跡が観られた舞でした。

引き続く皇帝の舞は、それに負けてはいけないし、素人が習い始める仕舞もあるので、どうプロの実力を出すかと。そういう意味では難しいのでしょう。中森貫太さん、きちんと舞っていました。

鎌倉能舞台は、舞台が狭いから、舞は難しいと思う。

謡も『鶴亀』から、観世流では素人お稽古始めるらしい。全部ツヨ吟だかららしい。僕らは、観世流だけど、梅若紀彰師であって、『土蜘』であった。『土蜘』はヨワ吟から入って、途中でツヨ吟も交じる、そういう意味では難しい曲だったのかな。

仕舞の練習も、『鶴亀』のキリがなされるのも多い。僕たちも、型の練習を兼ねて、『鶴亀』キリは一応できるかな。

そういう意味もあって、親しみのある曲なので、舞ばかりの曲なのに、ちっとも眠くならず。

 

高等遊民、文化の日に、極めて文化的な過ごし方でした。日々是好日。。。。理想的だ。