2月13日(木) 国立能楽堂
狂言 『蟹山伏』 (大藏流・大藏宗家)
シテ(山伏)大藏基誠 アド(強力)善竹大二郎 アド(蟹の精)大藏教義
笛:松田弘之 小鼓:曽和伊喜夫 大鼓:白坂保行
(休憩)
能 『井筒』 (金剛流)
シテ(里の女 紀有常の娘)豊嶋彌左衞門 ワキ(旅僧)野口能弘 アイ(所の者)善竹忠重
笛:松田弘之 小鼓:曽和正博 大鼓:白坂保行 地頭:松野恭憲
面:シテ「小面」(古元休・作)
狂言は、大藏流宗家に善竹家が合わさってのモノ。囃子方は、狂言次第だけで引っ込む。
『蟹山伏』何度か見ている。羽黒山のシテ山伏が葛城での修行帰りに、アド蟹の精(賢徳の面)と逢ってしまって、一向に霊力が効かずに、アド強力も助けられず、自分も逃げ出すだけ。アド蟹の精の動きがユーモラス。
だけど、この出演者は、皆さん、きちんと演じているだけで、おお、というモノがなくて、退屈。有名な曲で、観客も何度も見ている人が多いのだから、何かしら光るモノが出ないと。寝てしまった。
能『井筒』は、2度目。一度目は、2019年10月11日観世流銕仙会で見ている。このときの布陣は、シテ観世銕之丞、ワキ殿田謙吉、アイ野村万蔵で、この配役だけで、能の善し悪しがわかろうというモノ。
ストーリーは、ご存じ、在原業平と紀有常の娘の、幼い頃からの恋物語。5歳の頃に一緒に遊んだススキが付いた井筒が絡んだお話で、例の如くワキ旅僧が歩いていると遭遇した今は荒れ果てた石上(いそのかみ)の在原寺、里の女と由来などを話していると、昔の話、実は紀有常の娘なのだと。これは幽霊かどうか。
一緒に住んでいた頃、業平が別の女の元に通うのを、「風吹けば沖つ白波龍田山 夜半にや君がひとり行くらん」と読んだり、「筒井筒、井筒にかけしまろがたけ 生いにけらしな 妹見ざる間に」と読んだり。文化人で、いい女なのだ。
後場で、今度は在原業平思い出の冠と、直衣を着た、男装の女子が「序ノ舞」を舞う。女性が舞う舞の中でもっとも優美なモノと言われているらしい「序ノ舞」。続いて、その姿で井筒を覗くと、中に見えるのは、自らか、業平か。
と、前場は謡と語り、後場は舞が主となる。が、シテが1937年生まれ、83歳か、ちょっと年を召しすぎかな、前場でもかがむ姿勢か腰が曲がっているか。声もはっきりしない。後場の序ノ舞も、優雅さに欠けるというか、よろつくというか。
ワキは、良い声をしていた。
アイの善竹忠重は、また台本通り語っているだけ。お能でも、間狂言は重要なんだね。
というわけで、前回の『井筒』に感動した反動か、あまり良い印象を受けない。
流派だけの違いではないような気がする。
難しいね。曲だけではなく、演者も重要だし、多分、囃子方も加わって、一期一会の能の会なのだろう。
高等遊民、色々見てきて、色々見えてきてはいる。