12月20日(金) 国立能楽堂

狂言 『鐘の音』 (和泉流 野村万蔵家)

   シテ(太郎冠者)野村万蔵 アド(主)野村萬

(休憩)

能 『橋弁慶』・替装束・扇之型 (金剛流)

   シテ(武蔵坊弁慶)金剛永謹 トモ(弁慶の従者)宇高竜成 子方(牛若丸)廣田明幸 アイ(早打)炭光太郎

   笛:松田弘之 小鼓:観世新九郎 大鼓:河村眞之介 地頭:今井清隆

   面:前シテ直面 後シテ小べし見(若狭守・作)

 

演出の様々な形という企画で、二ヶ月連続で、流派を違えて、同一曲を。この企画は、よろしい。どこが違うかという興味に応えてくれる。長年の間で、古典芸能の各お家が、様々に改変したり、なんかしているのが伝わっていて、現代に至る。これからも変わるかも知れない。面白い。

 

『鐘の音』、先月は大蔵流。鐘の音の違い。今月の大蔵流は、寿福寺がジャーン、モーオオン、モーーオンで、大抵の音。円覚寺はバーンと薄い音。極楽寺はジャガジャガジャガと割れ音。建長寺はゴーン、ゴーン、ゴーン、ゴーンと冴え冴えとした良い音。しかも、四寺すべての鐘を打つが、確か先月大蔵流は、極楽寺は山の上に合って登っていけず、石を投げて当たった音だったような。

建長寺の鐘の音を表現するのはかなり難しそうだ。

主に怒られるが、先月大蔵流は、仲裁人が現れるが、今月和泉流では仲裁人は現れず、何だか、解雇したのに、小唄を唄うと、良くわからずに復権する。どうしてかな。

どうしてこの様な、流儀に違いが生まれたのだろうか。

 

『橋弁慶』金剛流。先月観世流は、特に、笛之巻という小書きもあって、まさに特殊演出だったが、今月の方が一般的かな。

シテ弁慶と子方牛若丸のみ。常盤御前は出てこない。前シテは直面で、西塔の武蔵坊弁慶と威張っている。トモ従者が長袴をはいているから、かなりの位の僧だとわかる。

後場で、子方牛若丸が出てくる。後見にいる廣田幸稔の孫らしい。大きな声ではっきり言うけど、先月の子方の方が良かったか。子方は難しいよね。必ずシテ方になる前座的な子方ばかりではない。それなりのシテ方の子や孫だと、躾として子方をやらされる。子方を卒業してそのままシテ方になる子もいれば、シテ方に進まない子、一旦休んでから思い直してシテ方の進む子、シテ方になっても限界を感じて辞めてしまう子、色々だ。家の継承と芸の継承と。

扇之型で、橋掛かりから子方が扇を開いて弁慶に投げつけるが、シテ柱にぶつかってしまって、白砂に落ちてしまう。子方が一番ビックリしたろう。が、後見も、何も、少しも慌てず。シテ方もそのまま続けたが、子方の動揺収まらないか、立ち回りで息が合わない。

難しいな。

替え装束の小書きは、中入で、シテ弁慶が大幅にお着替え。黒糸威しの鎧を示す衣装。それに面。解説では「長霊べし見」とあったが、「小べし見」。べしの漢字が出ない。それに、頭巾。結構早替わり。

物語も知ったモノだし、連続月だから、楽しく、鑑賞できました。