11月22日(金) 国立能楽堂

狂言 『鐘の音』 (大蔵流 茂山千五郎家)

   シテ(太郎冠者)茂山千三郎 アド(主)茂山千五郎 アド(仲裁人)丸石やすし

(休憩)

能 『橋弁慶』・笛之巻 (観世流 九皐会)

  シテ(常盤御前 武蔵坊弁慶)観世喜正 子方(牛若丸)観世和歌 ワキ(羽田秋長)飯冨雅介

  アイ(洛中の者)茂山あきら、茂山千五郎

  笛:藤田次郎 小鼓:曽和正博 大鼓:佃良勝 地頭:弘田裕一

  面:前シテ「深井」(伝河内作) 後シテ「直面」

 

真冬並みの寒さで、突如最高の完全冬支度。当然ながら劇場内は暖かいのでロッカー使用。10円なのだ。安いが横浜能楽堂やにぎわい座のように100円で戻ってきた方が良い。何度も出入りできる。

 

今回と、来月20日は、様々な演出と言うことで、同じ曲を別の流派や小書きで並べて鑑賞しようという趣向。

 

『鐘の音』は、2度目かな。前に何流で観たか記憶ない。「金の値」と「鐘の音」を太郎冠者が聞き間違え、鎌倉に出かけて調べるが、怒られて打擲されるものの、太郎冠者が仕舞謡で機嫌を取り持つお話。良くあるパターン。

今回の大蔵流は、まず東門で五台堂(五大堂明王院)、ダンと割れ鐘の音。南門で寿福寺、チーンと小さい音。西門で極楽寺、コーンと硬い音。最後に北門で建長寺、ジャーンノウノウノウノウと余韻が良い鐘の音。

これが来月の和泉流では、寿福寺ジャーンモーンモーン、円覚寺バーン(薄い音)、極楽寺ジャカジャカジャカ(破れ鐘の音)、建長寺コーンモーンモーン(余韻の響く良い音)となるらしい。来月が楽しみ。

太郎冠者は戻って得々と鐘の音の違いを主に語るが、怒られて打擲される。ここで仲裁人が現れるのも、大蔵流とのこと。

狂言方の太郎冠者が、それぞれの寺院の鐘の音を、諸行無常、是正滅法、生滅滅己、寂滅為楽という偈に合わせて、謡って舞う。機嫌を取るのだが、狂言方は、謡いながら舞うので、大変だなあと。

茂山千作他界によって、アド主が千五郎に交代。まったく、違和感なし。さすが練習を続けているんだな。

 

『橋弁慶』初めて。事前に能ドットコムで調べたら、各流であまりに違うので、観世、宝生、金春の3流の詞章解説が書いてあるが、いずれも前シテに常盤御前が出るものはなく、すべて弁慶だし、ワキの出演がないという特色があると書いてある。

が、観世流のみにあるという「笛之巻」の小書きによるモノか、前シテが常盤御前で、ワキも出演する。

物語は、弁慶ではなくて牛若丸が五条の大橋で千人切りをしていて、常盤御前に咎められるが、鞍馬山に上り帰る最後に五条の大橋に行くと、後シテ弁慶に遭遇して、戦い、弁慶が降伏して主従の誓いをする。ご存じで、わかりやすい。

子方牛若が活躍する。役者は10歳の観世和歌、シテの観世喜正の娘。大きな声で、口を大きく開けて謡う。節付けもはっきり。大したモノだ。やや早口になるので、囃子方が追いつこうとしていた。祖父の観世喜之が後見に付いていて、3代の共演。和歌ちゃん、可愛いし、大人になったらどうなるんだろうか。

間狂言は、縁起を語るというモノではなくて、五条の大橋で襲われて切られそうになったと騒ぐ、漫才。落語会で言えば、色物だね。

後シテ弁慶は、長刀を持って、勇壮に登場して、子方牛若と戦う。子方も太刀を持って切り結びもするんだ。上手。いっぱい稽古したんだろうな。小学校は休んだんだな。これからどう成長していくか。

現在能というのかな、ドラマ性が強い曲で、劇を観ているよう。舞も無い。初めてだけど、素人にはわかりやすい。とっかかり易い。考え方によっては、亜流のお能か。重い曲ではない。

前シテ常盤御前の面「深井」が、しっくりと深く、牛若丸に対する愛と心配に満ちた常盤御前にぴったり。

観世喜正、良いんじゃないのかな。1970年生まれと。能も、役者によって大分違う。これは歌舞伎も同じ。

 

高等遊民、とにかく大量の能の曲を観てきたが、大分見方が違ってきた。勿論、数だけではなくて、お稽古したのが大きい。