8月30日(金) 国立能楽堂

講談 『天保水滸伝 笹川の花会』 神田松鯉

落語 『狸賽』 柳家花緑

(休憩)

素囃子 『神楽』

   笛・栗林祐輔 小鼓・田邊恭資 大鼓・大倉慶乃助 太鼓・林雄一郎

狂言 『博奕十王』(和泉流 野村万作家)

   シテ(博奕打)野村萬斎 アド(閻魔大王)石田幸雄 小アド(前鬼)深田博治 小アド(後鬼)高野和憲

   笛・栗林祐輔 小鼓・田邊恭資 大鼓・大倉慶乃助 太鼓・林雄一郎

 

国立能楽堂の企画公演。夏の最後だし、ちょっと珍しいコラボなので、参加。

 

講談の『天保水滸伝 笹川の花会』は、まあ有名な侠客の義理に関する話。能舞台の上に、ちょっと斜めに講談の演台を出して、橋掛かりから登場。時間がかかる。人間国宝神田松鯉の貫禄か。

 

落語『狸賽』は、人間国宝柳家小さんの孫。やはり、能舞台上の落語は合わないけど。人間に助けられた子狸が、お礼に、賽に化けていかさま賭博の手伝いをする話。「ちょぼいち」というらしい。サイコロ1個で親が賽を振って、1~6の目を当てるという単純賭博。ショバ代や、上前をはねたりしなければ、親を交代でやれば、賭け麻雀みたい。対当の相対勝負か。

 

素囃子というのは初めて聴いたが、囃子方だけの演奏で、笛がお祭り囃子みたい。能舞台にはこれが合う。

 

本日のメインが狂言『博奕十王』。地獄の閻魔大王が、この頃地獄に行く罪人が少なくなって(仏教のおかげで善人が多くなってしまって・・)、地獄の大王や鬼供は飢餓状態になってしまい(つまり、罪人を食ってしまうのだ)、六道の辻まで出てきて、罪人を間違いなく地獄に連れて行こう、食ってやろうという算段。

ここまでは、『朝比奈』と同じ。が、この曲では、黄泉の国に出かけてくるのは「隠れもなき博奕打」というわけ。先日は、隠れもない強者朝比奈三郎が、今回は博奕打ちで、いずれも閻魔大王がやり込められるのだが、そういえば先日の『朝比奈』も今回もシテが野村萬斎だった。

大王や鬼どもと、ちょぼいちのサイコロ博奕を打つ。全部大王方の負け。1の目ばかりに賭けるのだもの。この舞台で使われる賽には1の目が無い様に作られていると解説あり。だからホントに転がす。同一題材の歌舞伎があるが、歌舞伎では賽に棒が付いていて、後見が1の目が出ないように公然と、観客にも分かるように細工するが、狂言では賽自体に細工がしてあって、観客には分からない。当たったらどうしようかと、ちょっとハラハラするのだ。

シテが賽を実際に振って、どの目が出るか分からないから、そこはアドリブで対応。この辺が面白い。最後は、衣類まで取られて、仕方なく天国に案内する。

囃子方も地謡も出て、時間も50分もかかって、能のような狂言。地謡に、人間国宝野村万作が出ていて、貫禄。あの年寄りの痩せた身体が、動くような力強い謡。謡は、こういう風に謡うのが、本当なのだ。ちょっとかじった素人謡は、腹から、身体から声を出していないと反省。高等遊民頑張れ。