8月17日(土) 宝生能楽堂

狂言 『射狸』(大藏流 山本東次郎家)

  シテ(伯母、狸)山本泰太郎 アド(漁師)山本則孝

  笛 竹市学 小鼓 鵜澤洋太郎 大鼓 亀井広忠 太鼓 金春國直 

(休憩)

能 『熊野』(宝生流)

   シテ(熊野)武田孝史 シテツレ(朝顔)和久莊太郞 ワキ(平宗盛)大日方寛 ワキツレ(従者)舘田善博

   笛 竹市学 小鼓 鵜澤洋太郎 大鼓 亀井広忠

 

硯修会というのは、国立能楽堂三役養成事業第三期研修終了者のなかから、終了後二〇余年、お三方、ワキ方の大日方寛、狂言方の山本泰太郎、笛方の竹市学が、互いに切磋琢磨し更に奮起して精進の道に進むべく新たな「硯修」の場を求めたという。まあ、シテ方以外の、中堅以上で今後の能楽界を引っ張るべき三役の方々の会らしい。

 

『射狸』は、大藏流山本家で極重習に位置づけられる最奥秘曲ということで、初めて。囃子方も入るし、まずワキの入場、継ぐシテの入場から、能っぽい。物語は、狸が猟師の伯母に化けて、狸狩りをさせないように説得し、成功したと見るや浮かれて舞、謡い出す。実は狩りを止めるつもりの無い漁師はそれを見つけるが、狸の腹鼓の舞と引き換えに、許す。が、逆に狸が猟師の弓矢を取り上げるも、すぐに取り返され、逃げ出して、やるまいぞ、やるまいぞ。

狂言で、弓矢が出てくるのは、確か3曲くらいしか無かった。これと、靭猿、もう1曲なんだっけ。見たんだけどなあ。

後見に、山本東次郎が座っていて、さすがの迫力。

 

『熊野』は、2度目。熊野の悲しい舞が中心の曲で、派手さは無く、眠くなり安い。が、先日の発表会で仕舞『熊野』を舞ったので、さていかに、と楽しみ。

でも、ビックリ。「立ち出でて峰の雲」が、すでに立った状態で、地謡が謡うのは、まあ良いか。続く「花やあらぬ初桜の」で、サシコミだぞと思っても、差し込まず、ヒラキもせず、立ったまま。「祇園林」でも左右だろ、と思ったが、これも立ったまま。「下川原」で、扇開くのはずも、若干、右向きに変わったか、という程度。「南を遙かに眺むれば」はシテが謡ったが、上げ扇では無くて、右後方に身体の向きを変えただけ。南を向いたのかしら。後は、まったく違う舞。打込、ヒラキも無く、サシ廻しも、ヒラキも、右へ廻るも、正へサシもせず、扇カザシも、左回りもしない。まあ、下に居で終わっても仕方ないから、これも無しは仕方ない。

これは、仕舞と能の中の舞の違いか、あるいは、観世流梅若家と宝生流の違いか。こうなったら、梅若紀彰のシテで『熊野』を観たいモノだが、そんな機会があるかなあ。

 

高等遊民、色々勉強して、面白くはなっている。もうすぐ、紀彰師に教えを請う、新しいお稽古が始まる。