3月16日(土) 川崎能楽堂

狂言『清水』 シテ(太郎冠者)山本則孝 アド(主人)山本凜太郎

能『胡蝶』 前シテ(都の女)岡本房雄 後シテ(胡蝶の精)田邊哲久 ワキ(旅僧)大日方寛 アイ(都一条辺の者山本泰太郎)

       面の紹介無し。前シテが若女、後シテが小面かな。

 

1部と2部と連続してみた。休憩時間退場させられるが、そこにちょうど凜太郎君が小用を足しにおりてきた。設備不良で2階にトイレ内のかな。彼は1部も2部も狂言のアドを務めるのだけど、ワイシャツに着替えていた。確かに、袴のままだと大変だからかな。能楽堂と言いながら、やはり設備には欠点が多い。

1部は満席だったのに、2部は空席が目立つ。両部連続して観る人は、10数名という感じ。そうなんだ。どうも、能の見学者が減っていて、特に若い人が少なくて、会も減っているらしい。学校などでも減っていると。何しろ教師が知らないから呼ばないのだ。再び能楽の危機か。稽古する人自体減っているし、稽古する人も高齢者ばかりらしい。戦前の教養が様変わりだな。狂言はなかなか人気らしい。そこからどう能に持っていくかが課題。

 

『清水』。最前列で観る。舞台が低いし、間近なので足下までよく見える。そこで発見。太郎冠者が、例えば「お前に」などと話して主人(頼んだお方)にお辞儀するとき、左足を半歩横滑りさせて、それで、両足を開いてその真ん中に身体を持ってきて、お辞儀するのだ。なるほどそうすれば身体は安定するし、綺麗に見える。お辞儀が直るとまた左足を横滑りさせて元に戻し両足を揃える。それを何回も。なかなか大変だな。他の流派、家も同じだろうか。3月17日に久良岐能舞台で『清水』を観るので、観察してこよう。こっちは山本萬家。

 

『胡蝶』。初めて。1部の『楊貴妃』は白居易の長恨歌。こちらは紫式部の源氏物語。舞台上に、梅の一木の作り物が登場。季節感。最前列でよく見えたが、梅花の作り物をくくりつけてある。まあ、本物は無理だなあ。

出てくる和歌。

・梅が香に 昔を問えば春の月 答えぬ影ぞ 袖にうつれる(新古今和歌集45、藤原家隆)

・花園の 胡蝶をさへや下草の 秋待つ虫は 疎く見るらん(源氏物語胡蝶の巻、紫の上?)

・胡蝶にも 誘われなまし心ありて 八重山吹も 隔てざりせば(源氏物語胡蝶の巻、秋好む中宮の返歌)

源氏物語の、春と秋とどちらがよろしいかの論争というか、遊びというかのシーンですね。こういう和歌が、かつての教養だったことが良くわかる。今は、ネットなどで調べねばならない。源氏物語(もちろん現代語訳)を読んですらいない人も多い。

美しい舞。和歌の知識が底辺にあって。優美な世界。

こういうことに、時間を使うというのが、高等遊民。