2月5日(火) 観世能楽堂(銀座シックス)

能 蟻通 故実

      シテ(宮守)野村四郎 ワキ(紀貫之)殿田謙吉

      面:腰巻尉(氷見作、室町時代、重要美術品)

狂言 六地蔵 すっぱ:野村万蔵) 田舎者:河野佑紀

(休憩)

仕舞 嵐山:上田公威 杜若:角寛次郎 笹之段:観世清和 天鼓:津田和忠

能 熊野 読次之伝 村雨留 墨次之伝 膝行留

      シテ(熊野)観世恭秀 ツレ(朝顔)武田友志 ワキ(平宗盛)工藤和哉

      面:節木増(越前出目作、江戸時代)

附祝言

 

銀座の観世能楽堂2度目、連月の定期能。観世の人たちの中に混ざって。ここは、SS席(正面)が12,500円もする。こんな所の定期能を毎月見るのだろうか。きっと、観世流の、それなりの人たちが、師匠の筋や、自分がそれなりの地位にある人が、お勉強や、お付き合いで来るのだろう。観客には、外の能楽堂と比べて不親切。私のような素人高等遊民は、A席。それでも7,000円と高い。目付柱がしっかり邪魔になる。変形大舞台で、舞台から遠い席なので、面がよく見えない。これは残念。

 

能蟻通は、あらすじ以外まったく予習できなかった。反訳本も無いし、能ドットコムの詞章訳もない。ユーチューブも無い。こんな、素人にはないないづくしの能であったが、野村四郎を見たくて期待していた。詞章は聞き取れないし、舞も無いから、眠くなってしまった。観世の人には大丈夫だろうけど、素人高等遊民にはきつい。野村四郎は、登場時点から、傘や明かり(灯明)を持つ手が震えている。声も、ワキのはっきりした声に比べて、弱々しい。震えた声。大丈夫かしら。死んでしまいそうな人間国宝。

 

狂言六地蔵は、2回目かな。わかりやすい狂言。すっぱ仲間の扮する人間地蔵は、アドリブで姿勢を決めるのだろうか。相変わらず、能と狂言のつながりが、連続的で、能役者らが退場すると、間断なく狂言がスタート。観世の人たちは慣れているからか、狂言なんて合間の寸劇程度に思っているのか、ぞろぞろとトイレなどに退場。でも高等遊民には、野村万蔵家の六地蔵、とっても面白かった。しっかりしていたし。

 

仕舞四曲は、見事。格好いい。おそらくは大師匠が、手本を見せているような感じ。杜若は本能を見ているはずだけど、素人にはまったく思い出せない。笹之段は、能「百万」中の有名な舞だそうですが、それと知らない素人でも、格好いいし、舞も良かった。なんせ観世清和の舞だからか。

 

能熊野は、十分予習していったので、楽しめた。遊女熊野が、遠江の国の池田に住む、死にそうな重病の熊野の母親に見舞いに行きたいのに、権力者の平宗盛が、我が儘で熊野を今日の桜見物に連れ出し、宴席では舞を舞わせるが、短冊に書いた歌の直訴によって故郷に帰してもらえる話し。

牛車での道行きは、きっと西八条の平家館から始まって、清水方面へ。賀茂川からは音羽も見え、四條五條を経て、六波羅を過ぎ、地蔵堂、鳥部、経書堂(今の経堂)。平家物語を読んでいた成果で、道行き課程が目に浮かぶ。どこで桜見の宴席をしたのだろうか。帰ることが許されると、熊野は、京の戻ること無く、東下りへ。清水は、平安時代は京の外。洛外というのか。

道行きは、本当ならば楽しいはずが、熊野は悲しみが強い。それが増女の面を下向き加減にすることで伝わる。宴席の舞も、遊女だから仕方ないが本当は舞いたくないのだ。帰りを許されると、増女がぱっと輝くように見える。やや上向き加減になるから。能は、仮面劇。

平家物語の最初に、祇王のことがある。祇王は白拍子で3年清盛の世話になった。囲われていた。熊野は遊女でこれも3年。我が物だけにしたいのだが、権力者の意地悪をする。清盛と宗盛は同じようなことをしたのだ。宗盛は、清盛の3男。宗盛の方が、やや優しい心を持っていたか。清盛より、公家化していたのか。

平家物語は、能を10倍楽しむ本。平家物語絵巻を見ると、当時の様子もわかるし。

今回は、泣かなかった。