1月27日(日) 久良木能舞台
解説 三浦裕子(武蔵野大学文学部教授)
狂言『布施無経』 シテ(住持)山本東次郎 アド(檀家)山本則孝
能『葵上』 喜多流
シテ(六条御息所の生霊)内田成信 ツレ(照日の巫女)佐藤寬泰 ワキ(横川の小聖)舘田善博 アイ(臣下の従者)山本凜太郎
面の紹介は無かったが、お決まり通り、前シテが泥眼、後シテが般若、ツレが小面、作者年代は教えてくれなかった。
横浜市磯子区に、久良岐公園があってその一角に久良岐能楽堂がある。全国の能舞台紹介にも掲載されている。大正時代の舞台を移築したものらしい。舞台はやや小ぶりの感じで、橋がかりはかなり短い。見所は、畳敷きで、そこに座椅子席、パイプ椅子席などが並ぶ。横浜能楽堂の姉妹施設。
舞台と見所が極近いので、迫力がある。囃子方の音も大きく聞こえる。階もほとんどないので、舞台と見所はフラットなこともある。
解説は相変わらずつまらん。眠くなる。寒いところ歩いてきて、暖かくなって、つまらん話を聞くと、眠くなる。為にはなるんだろうけど。横浜市の公共的施設で、社会教育的な能楽と言うことなのか、事前のワークショップもあって、解説付きは仕方ないか。
でも、この日の演目は、いずれも眠くならないもの。
『布施無経』、東次郎さんの演技が素晴らしい。布施が欲しいと思ってしまうが、なかなか言い出せない。でも欲しい、欲しいとはわからせずに欲しい。その辺りの、心の葛藤というか、貧相さというか、よく現れている。ほとんどシテの一人舞台だから、経験豊かな狂言師でなければできないかな。さすが、東次郎さん。2週間前に見たけど、やはり、生きている内に。
『葵上』は圧巻。「梓之出」の小書きは説明されなかったが、小書き付きの演出で、弓の音(小鼓で)に引かれるように、泥眼を着けたシテ、六条御息所がゆっくりと登場。私の場所が良かったのだが、泥眼と正面になって、じっと見つめると、身震いがしてくる。俗に、ビビッと来るという表現。葵上に対する恨みを爆発させる舞。立ったままの泥眼シテが、きっと葵上を表す舞台上の小袖を睨み落とす。その時の表情の変化。というのは面泥眼の角度と舞手の仕方に、またまたゾクッと。もうこの辺で、年寄りはウルウル。
物着をして、後シテの般若。これも恐ろしさと、こんなことをしてしまっている六条御息所の悲しみも表現される。般若の面の角度、キッとにらみつける仕草などで、あんなに違うんだ。
能は、仮面劇。面の種類や着けた仕草などで、印象が左右される。
泥眼と、般若と、小袖の葵上を打ち付けるように、こっちも打擲されてしまい、ガーンと。表現が稚拙で済みません。
葵上は、能の、ロックだ。泥眼が欲しかったが、般若も良いな。舞台が近いから面がきちんと見えて、素晴らしいのと迫力に打ちのめされる。