1月26日 イオンシネマみなとみらい

 

なんと、3回目。今度こそ泣かないぞ、と思っていたが、又々泣いてしまった。

今回の涙は、Live aidに向かう前に、家族のところに、本当の友達を連れて出かけたところ。引き続くLive aidの場面でも。

 

今回わかったキーワード。HomeとFriendとFamily。

雨の中、妻だったメアリーがフレディを訪ねてきて、訳では「家に帰りなさい」と言う。フレディの家の前、タクシーの中でだ。あのとき、あの場面で、英語ではHomeに帰れ、と言っている。日本語訳では、「家」になってしまうが、違う。

クイーンの他のメンバーに、詫びて、戻してくれという場面では、クイーンはFamilyだ、と。父母や妹もFamilyだけど、クイーンのメンバーもFamily。そこに、同一性がある。

破廉恥パーティの翌朝、終生の友人となるジムから、友達が必要だ、と告げられる。同性愛者でも、友達だ。そして、元妻のメアリーも、最後まで友人だったと最後のテロップに出ていた。最後に家族にジムを紹介するとき、手を取って「友達だ」と。私は、まったくゲイの気はなく、理解の外だけど、フレディにとっては本当の友達が、たまたま男性だったのだね。キスする場面なんか、気持ち悪いけど、性行動的にはまったく理解の範疇を超えるが、心理的にはわかる気がする。性行動とは別物だ。だから、メアリーともFriend。ジムともFriend。Live aidを舞台裏から見ているメアリーとジム。この2人もFried。

 

性行動、性愛とLGBTが結びつきすぎているのではないか。私は、女性が好きだから、LGBTの人のように、いきなり女性に触ったり、キスしたりしたくなるが、そんなことしたらセクハラだ。強制わいせつだ。どうしてLGBTの人たちは。逆差別ではないか。ゲイバーがあるように、異性が好きで、性的接触を求める人が、色眼鏡で見られることなく通えるお店がないものか。男性同士、女性同士の友達だけではなく、男女間で、性愛を含むFriedが、公然化されても良いと思う。

要するに、私はおそらくLGBTを理解していないのだろう。レズビアンは好きだけど。

自称高等遊民は、こんなつまらないこと考えてしまった。

4回目のボヘミアン・ラプソディは、ないだろう。