自称ですが、高等遊民となって、雅やかな生活をしたいと思い、その通り生活して、その足跡をこのブログに書いているわけです。
今月は、忘年会なども多く、現役の方々と会う機会も多くて、今何やってるの、という質問もあり、自己紹介として「自称ですが高等遊民です。」と答える。その反応が、色々で、誤解が多い。
また、ちょっと気になって、#高等遊民で検索してみると、色々記事はあるのですが、どうして#高等遊民にする?というのもあって。
高等遊民とは、どのような人種・生活をしている人を言うのか。
このブログ記事の最初に、私が考える高等遊民とは、と書いている。
ニートとは絶対に違うのです。遊民を遊牧者と誤解する人もいて。条件は、知識人であること、口に糊するための職業には就いていないこと、経済的には困窮していないこと、趣味に生きること。だから、悠々自適の生活を送る人とも、ちょっと違うのです。遊び人でもありません。
やはり、夏目漱石の本を読んでください。「それから」「こころ」「彼岸過迄」。そこに登場します。もう一度読み直したいのですが、読み直す時間が無いので、ざっとですが、「それから」の代助、「こころ」の先生、でしょう。
そういう高等遊民に私はなりたい。
もう一度、私の思う高等遊民。
知識人でありながら、贅沢はできないものの経済的には不自由しないため、労働に従事することなく読書などをして過ごしている人。なんら生産的活動も、社会的活動もせず、ただ、日々を雅やかに過ごしたり、己の興味のある趣味の活動を追い求める。