11月14日(金) 国立能楽堂
狂言『宗論』(大蔵流 茂山忠三郎家)
シテ(浄土宗)茂山忠三郎 アド(法華僧)大藏彌太郎 アド(宿屋)大藏彌右衛門
(休憩)
能『通小町』・雨夜之伝(観世流 観世会)
シテ(深草少将)武田宗和 ツレ(小野小町)武田宗典 ワキ(僧)大日方寛
笛:藤田次郎 小鼓:田邊恭資 大鼓:河村眞之介 地頭:岡久広
面:シテ「痩男」 ツレ「小面」
どうも、12月の御稽古会のことが気になってしまっていて、ストレス状態というか、ノイローゼ状態というか、能楽に集中出来ない。
お稽古がうまく行かないのも、能楽で気分転換を図った方が良いんだけど、ね。
狂言『宗論』。
身延山を本山とする法華僧のアドと、善光寺から帰ってくる浄土僧のシテ。最初は出家同志、同行して楽しいのに、互いの宗旨がわかってしまうと、酷く対立してしまう。中世においても、実際にも、法華宗(南無妙法蓮華経のお題目派)と浄土宗(南無阿弥陀仏のお念仏派)は、鋭く対立していたらしい。
だから、この狂言曲作成の頃には、この対立は公然のことだったんだね。
でも最終的には、踊り念仏、踊り題目を唱え踊る過程で、混乱してしまい、最後は仲良くなって「妙阿弥陀仏」となる状態にいたり、めでたしめでたし。
宗教対立というのは、庶民的にはどこまでだったんだろうか。
一向一揆というのも、宗教対立と言うよりは、生活対立、支配と被支配の対立ではなかったのか。
アド宿屋の配役は、当初は山口耕道さんだったが、当日発表で、病気療養により交替だと。1954年生まれ。
前回の『養老』も地頭金春安明氏が療養により休演した。1952年生まれ。
ワタクシが、1953年生まれなので、うーむ、となる。腰が痛くて、物覚えが悪くて、フラつくのもやむを得ないか、と。
12月の御稽古会が、益々憂鬱になってしまう。
できるのかしら。
出かける前に、着物をしばらく着ていないので、出してみたりしたけど、帯の結び方がよく思い出せず、袴の履きかたも、アレッという状態で。
能『通小町』は、6回目。前回は、2024年1月の国立能楽堂、金剛流でした。
今回は、観世流なので、さぞや、楽しかろうと。
ツレの小野小町は、詞章中は「姥」なのだけど、若い役者で、色つきの美しい装束。面は「小面」。
シテの深草の少将は、同年配の筈だけど、ツレの武田宗典さんの父親。面は「痩男」。
どう見ても、恋人というか、小町が悪いのだけど、言い寄る少将とは、年齢差がありすぎる。
語り調も、はっきり大きな声のツレ、くぐもった、完全に高齢者のシテ。
前場の木の実の列挙は、相変わらず意味不明だけど、今回初めて、「歌人の家の木の実には 人丸の垣ほの柿」という詞章があって、これは万葉集の柿本人麻呂を示す暗喩なんだと気づく。秀歌ですね。
そのほかは、まだ良くわからない。
あれだけ小町だけが成仏したいのを、少将が妨害していたのに、最後、どうして一緒に成仏するのか、これも良くわからない。
飲酒戒を守ったから?という詞章になっているけど、説明無しで、良くわからない。
この曲は、舞がなくて、立ち回りが一箇所だけ。後は仕方風のみ。ちょっと寂しいね。
クセ舞、中ノ舞、キリ舞と続くのが、好き。
で、結局、ストレス・ノイローゼ解消には至らず。モヤモヤしたまま帰宅。
帰りに、餃子で一杯飲んでしまう。