私自身が 共感した言葉を、紹介させていただきます (^-^)/
人間は、頑張っても 頑張っても、
それが、結果に 結びつかないことが多いですよね
私も、修行時代、
お経がなかなか覚えられず、かなり苦労を強いられました
仲間の中には、優秀な人間もいて、
すらすら覚えて、
私は、どんどん置いてきぼりを 喰らってしまいました
そんな ある日、修行僧だけで、
ディスカッションが 行われることに なりました
その内容は、出来のいい修行僧が、
出来の悪い修行僧に 対して、
叱咤激励する というものでした
私は、出来のいい修行僧から、
「 努力が足りない 」
「 睡眠時間を削ってでも お経を練習するべきだ 」
などと、一方的に言われまくりました
そんな事は、言われなくても やっていたのですが、
性格上、表だって努力する姿をみせる のが嫌いだったんです
だから、人知れず 陰で努力していたんです
かと言って、私は、
「 自分はこれでも 陰で努力しているんだ 」
なんてことは、
口が裂けても言いたくはなかったんです
とかく人は、結果だけ をみて、
モノを言いたがります
それから ずっと、私は、
出来のいい修行僧に、
責められ続ける時間が続きました
本人は、正義感たっぷりに能書きを垂れていましたが、
私に とっては、ただの迷惑でしかありませんでした
なので、右から左に 聞き流すように していました
私は、
「 自分が悪者になれば、この場がおさまるだろう 」
と 思って、一方的に責められ続けました
そんな時、同じく出来の悪かった修行僧が、
その状況に、「 待った 」 を 入れました
あまりにも不条理に 私が責められ続けていた事に
堪忍袋の緒が切れたんです
彼は言いました、
「 さっきから努力が足りない、努力が足りないって
言ってるけど、そんな事は ないと思います!!! 」
「 ●●さん(※私のこと)は、むずかしいお経も
かなり 唱えられるようになったじゃないですか 」
「 いくら何でも、ちょっと 言い過ぎじゃないですか 」
それから今度は、私を弁護してくれた彼と、
出来のいい修行僧との言い合いが始まってしまいました
しかし、今度は逆に、
出来の悪い修行僧たち が、
その出来のいい修行僧 に対して
反旗を ひるがえしました
結局、ものわかれのまま、
ディスカッションは 終了しました
私にとって、
誰が 悪い とか 良い とか なんてことは、
どうでもよかったんです
そんな事より、私は、
彼が、私が陰で努力している事を わかってくれていて、
私のことを、懸命に かばってくれた事が嬉しかったんです
彼が援護射撃してくれた事で、
出来のいい修行僧が、
出来の悪い修行僧 を ただ、
いたぶるだけの場で なくすことが出来ました
一生懸命やった事は、
いつか、陽の目をみるんです
だから、すぐに結果を出せなくても、
決して、嘆いたり、腐ったりしなくても いいんです

全員に 認めてもう必要なんてないんです

心ある誰かに、認めてもらえれば、
それで十分です
出来のいい人間、
出来の悪い人間、
そんなことで、
人の優劣は決まりません!
出来がいいのも、悪いのも、
単なる個性にすぎません!
ちょっとぐらい自分が
出来がいいからといって
奢る人間こそ下の下です!
人間にとって大切なのは、
脳みその出来では ありません!
ハートです!
そして、最後の最後まで
あきらめない人間にこそ
人生は微笑みかけます!
結局、出来のいい修行僧だった彼は、様々な不満から還俗(僧侶をやめること)してしまいました
まさに 「 おごれる者 久しからず」ですね ヽ(;´Д`)ノ
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