私自身が 感動したお話を、紹介させていただきます
人間の心には 欲 というものが あります
私たち は、この 欲 を満たすことが、
人間の幸福だと、勘違いしがちです
しかし、自分の欲を 求める限り、
真の満足感は、永遠に やってきません
なぜなら、1つの欲を満たせば、
さらなる欲の炎が燃えさかるからです
では、どうすれば いいのか
それは、我利我利(ガリガリ)の心をやめて、
人の幸せ を みずからの幸せ にすること
です
私自身、このような経験があります
実は、ウチのお寺 は、数年前に建て直しました
前の御堂は、既に100年以上 経っていました
修復では済まないくらいの古い建物でした
檀信徒の皆さん が、決起して、
尊き寄付金を積み立てて下さり、
この不況の中、奇跡的に、
新しいお堂を建立することが叶いました
寺院建立に関わった皆さん は、私に
「 せっかくだから、若上人の代で
この本堂を建立したことに したら どうですか 」
と 強く 勧めてくださいました
しかし、私は 丁重に、お断りしました(-人-)
なぜかというと・・・
私は、どうしても、
父の代で 建てたことに したかったのです
私は、なかなか お寺を継ごうとせず、
親に 迷惑や心配ばかりをかけた、バカな息子です
だから、本堂を建立した名誉など、私には必要ないのです
私は、この名誉を、
長年、住職として、この小さなお寺を護ってきた父に
どうしても、譲りたかったのです
病床に伏している父に、
本堂が父の代で 建ったことを伝えると、
父は、感激して、
溢れんばかりの涙を流してくれました
その父の姿こそが、
私にとって、最高の幸せ なのです
自分の代で 本堂が建立された
という名誉なんかよりも、
私は、父
が心から喜んでくれたことの方が、
ずっと嬉しいんです
人間、みんな同じです
我欲を満たす事 なんかより、
人が喜んでくれた事 の方が、
それは、理論・理屈ではなく、
物事の真理 なのです
自分も、他人をも
不幸にする心、
それが、
我利我利の心
です (><;)/
我 = 我がまま
利 = 利己主義
人は、みずからが、
人の灯となってこそ、
真の充実感を
得るのです
人の笑顔を
自分自身の喜びに
出来たら、
素敵ですよね
個人感情に とらわれすぎて、周りが見えなくなってしまう事から、我利我利になっていきます!
※本の読者の声 → こちら
『母子家庭』
俺んち母子家庭で貧乏だったから、
ファミコン買えなかったよ。。。
すっげーうらやましかったな、
持ってる奴が。
俺が小6のときにクラスの給食費が
無くなった時なんて、
「ファミコン持ってない奴が怪しい」
なんて、真っ先に疑われたっけ。
「貧乏の家になんか生まれてこなきゃ
よかった」って 悪態ついたときの
母の悲しそうな目、今でも忘れないなぁ。
どーしても欲しくって、
中学の時に新聞配達して金貯めた。
これでようやく遊べると思ったんだけど、
ニチイのゲーム売り場の前まで来て
買うのやめた。
そのかわりに小3の妹に
アシックスのジャージを買ってやった。
今まで俺のお下がりを折って着ていたから。
母にはハンドクリーム買ってやった。
いっつも手が荒れてたから。
去年 俺は結婚したんだけど、
結婚式前日に 母に大事そうに錆びた
ハンドクリームの缶を見せられた。
泣いたね、、。
初めて言ったよ・・・
「生んでくれてありがとう」って
( WEBサイト『泣ける感動する話』より )