私自身が 感銘を受けた言葉を、紹介いたします(ノ_・。)
人間、生きていれば 必ず、壁 が立ちはだかります
乗り越える人、乗り越えられない人、乗り越えようともしない人、
それは、人それぞれです
しかし、壁を乗り越えた向こうにある光を信じることもまた、
必要な人生だと思うのです
私も 修行を終え、正式に僧侶となってから、ぶつかった壁があります
それは、いくら頑張っても、
教えが伝わらない(><;)
という 壁です
僧侶の本分は、布教です
教えや精神、その心を伝えることです
私は、これでも かなり仏教を勉強しました
当たり前か・・・(苦笑)
他のお坊さんからは
「 あいつは 学(がく) ばっかりの人間だ 」
と、陰口を言われていたくらいです
しかし、自分が学び、理解した事が、
世の人たちの心に まったく伝わらない、心に響かない、という現実が、
自分の前に、巨大な壁として立ちはだかりました
その状況が、何年も続きました
それでも あきらめたくなかった
あきらめたら、自分は 僧侶として存在する意味がない
そう思いました
しかし、現実は 想像する以上に 厳しかったのです
私が 人に仏教の話をすると、
あからさまに 退屈そうな表情をされました
悔しかった(><;)
自分のこれまでの苦心が否定されているような気持ちでした
でも、どうしたら この壁を乗り越えられるのか
いったい自分に 何が足りないのか
どうしても、わかりませんでした
人に伝えることの難しさを、嫌というほど、思い知らされました
そこから 私は、
苦しんで、
悩んで、
あがいて、
嘆いて、
もがいて、
迷って、
あきらめかけて、
それでも
あきらめたくなくて、
答えを探し続けました
そんな時、ある研修会に参加する機会をいただき、
そこで、あるお坊さんの説法を聴くことになりました
そ・・・ それが、とても素晴らしい法話だったのです
超~~~~~~~~~~~感動しました(TωT)
思わず 聴き入ってしまいました
私だけでなく、そこに居た者すべてが 感銘を受けていました(T_T)
私は、自分と そのお坊さん
と、どこがどう違うのか
真剣に考えました
そこで 初めて わかったんです
私の話は、あまりにも理屈優先だったんです
しかし、そのお坊さんの話は、経験優先でした
だから 説得力があり、人の心に響いたのです
それ以来 私は、そのお坊さん
に習い、
経験優先で、伝えることに徹底しました
すると、状況は一変しました
そこには、私の話に真剣に耳を傾けてくださる人たちの姿がありました
それは、私が 1つの大きな壁を乗り越えた瞬間でした
私は 自分を省みて改めることで、
誰だって、壁に ぶつかれば、
嫌になります、逃げだしたくなります!
しかし、
”自分の限界”と”壁”とは 違うんです!
芸術家の岡本太郎氏は、
「壁は自分自身だ!」
という言葉を残されています!
”壁”という障害をつくっているのは、
実は、自分自身の心なんです!
自分の心がつくる壁、それは、
「 無理だ 」 「 駄目だ 」
という妄想です(><;)
まず、現実の壁の前に、
自分の心の中にある壁を
乗り越えることです!!
人生、あきらめなければ 必ず道は開けます、必ず! 能力云々よりも、あきらめない心です(´▽`)