私自身が、共感した言葉を、2つほど紹介いたします (-人-)
人生、ずっと順風満帆に過ごせれば いいのですが、
そう都合よくは いきません
時として、運命の歯車が狂い、
とてつもない苦境に遭遇してしまう事も あります
「 自分だけが何故、こんな苦しい思いを・・・ 」
というような、絶望の淵に立たされてしまった時、
人は、いったい どうすればいいのか
その確実な答えは、残念ながら ありません
何故なら、そういった過酷な状況に追い込まれた人でしか、
その苦しみは分からないからです
何を言っても、理想論、キレイごとにしか なりません
私の力の いたらなさを、ただただ痛感しています
しかし、そんな力不足の私であっても、せめて、
そこから脱する為のヒントだけでも、今回 綴りたいと考えました
あくまでも理想論なので、
もしかしたら、共感していただけないかも しれません
私は以前、職場とプライベートで、
いっぺんに沢山の責任を抱えることになり、
自分自身の限界を超え、精神的に追い込まれ、
心が壊れてしまう寸前にまで 苦境に立たされた事がありました
私は、思い切って 職場に辞表を出しました
誰にも相談することなく、自分で勝手にやった事なので、
職場の上の人間からは、大ヒンシュクを買いましたが、
もし、あのまま無理に勤めを続けていたら、
私の心は、間違いなく壊れていたと思います
そのくらい、精神的に追い込まれていたんです
「 何故こんな苦しめられなければならないのか!? 」
自分の運命を呪いました
その後、家族の理解と、1週間ほど 自宅待機したことで、
それまでの疲れ果てた心身を癒すことが出来ました
そして、職場の上司の説得で、
もう1度、職場復帰する方向で 話が進んだのですが、
私の中では、迷いがありました
「 あんなに心身ともにキツイ職場に戻ることが、
果たして 自分の人生とって いい選択なのだろうか 」
と・・・
私からすれば、再び戦場に戻るような心境です
そんな時、実話をもとにしたある海外ドラマから、
とても素晴らしい言葉が耳に入ってきました
それは、病気が原因で、
両目に光を失ってしまった少女の父親に、
町の牧師が言ったセリフです
彼女は 何か大切な使命を受けて こうなったんだ!
それを信じるんだ!!
つまり、
過酷な運命、それは・・・
何か大切な使命を持った人間が
必要で受けること
だと、いうのです
その時の私の すさんだ心には、とてつもなく響いた言葉でした
この苦しい境遇は、
決して意味のないものなんかじゃない
自分は、何か大切な使命を受けたんだ
それどころか、
ものすごいモチベーションが上がりました
どん底の状態から、這い上がることが叶いました
理想論だと笑われるかもしれません
しかし、現実に私は今、
とてつもなく苦しんだ過去の経験を糧として、
この”大切なこころ” を 綴り、伝えています
それが、私に与えられた
使命であり、天命だったのです!
起こってしまった不幸な出来事、
その事実は変えることは出来ません!
しかし、そこに大きな意義を
見い出すことは出来るんです!
それが出来るか!?
出来ないか!?
そこが重要です!

絶望的な状況から 立ち上がった人こそが、意義ある使命感をもって大きな人生を歩むんです!
