苦難の中にあっても
人生を あきらめない!
生きる
と いう事は 改めて考えると、
いったい どういう事なのでしょうか
息を していること
心臓が 動いていること
それが生きる という事なのでしょうか
それは、違うと思います
生きる
と いう事は、もっともっと深く、
意義のある事だと思います
生きる
という事は、
人生に 生き甲斐を見い出すこと
であり、そして、
今、生きていることの素晴らしさを
心から実感すること
だと 思います
私は そのことを、
正岡子規という歌人の生き方から、
学ばせていただきました
正岡子規は、35才という若さで この世を去りました
21才の頃より、結核を わずらい、
その後、様々な合併症から、
最後の3年間は、寝たきりの生活を強いられ、
身体中に走る激痛から、
寝返りも うてないほどの苦しい思いの中を生きました
それでも 正岡子規は、
そんな寝たきりになった最後の3年間でさえも、
決して自身の人生を あきらめませんでした
私は、正岡子規の そういった生き方を、
心から尊敬して止みません
正岡子規は 最後の3年間、
重病を抱えながらも、自分の作品を懸命に綴り、
それを 新聞に掲載し続けました
正岡子規は、1つの強い信念を持っていました、
それは、
「 悟りは 平気で死ぬことではなく、
どんな場合でも平気で生きること、
しかも 楽しみを見い出さなければ
生きている価値がない!!! 」
というものでした
正岡子規は、病床にありながらも、
自分の作品が 新聞に掲載されるのを 心から喜び、
また、読者から送られてくる手紙を心待ちにし、
毎日を有意義に過ごしました
「 柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺 」
という作品が あります
これは 正岡子規が、
自分が重い病気であることさえも忘れ、
深まりゆく秋の趣を 心から楽しんでいる様子が
描かれています≧(´▽`)≦
正岡子規は、不幸な一生だったのでしょうか
いいえ、違います!
大好きな俳句を、最期まで書き続けた
正岡子規は、幸福な一生でした
人間、生きていれば、
様々な苦難に 突き当たります
そして、
その苦しみから逃れようと、
必死に あがいたりもします
しかし、忘れては ならないことがあります
苦しいから 不幸なのではなく、
喜びがないから 不幸なのです
喜びを
見つけましょう!
たとえ 自分が、どんな状況に置かれようとも、
逃れられないような苦しみの中にあっても、
人生に 喜びを見つけること が出来るはずです
あきらめたら、そこで人生は終了です
たとえ今、苦難の中にあっても
喜びが苦しみを上回ればいいのです
苦しいことに 囚われてばかりいるのでは なくして、
積極的に喜びを見つけましょう!!
のです!
正岡子規 『病牀六尺 』より
病牀六尺、これが我世界である。
しかも此六尺の病牀が余には広過ぎるのである。
僅かに手を延ばして畳に触れる事はあるが、
蒲団の外へまで足を延ばして体をくつろぐ事も出来ない。
甚だしい時は極端の苦痛に苦しめられて
五分も一寸も体の動けない事がある。
苦痛、煩悶、号泣、麻痺剤、
僅かに一条の活路を死後の内に求めて少しの安楽を貪る果敢なさ、
其れでも生きて居れば いいたい事は いいたいもので、
毎日 見るものは 新聞雑誌に限って居れど、
其れさえ読めないで苦しんで居る事も多いが、
読めば 腹の立つ事、癪にさわる事、
たまには 何となく嬉しくて 為に病苦を忘るる様な事が無いでもない。
「苦中、楽有り」 です(^-^)/