「苦しみ」が「悦び」へと かわる時・・・
まだ修行時代、
私には、
とても苦痛に思っていたことがありました
それは、長時間 正座をすること です
私たちは 毎夜、
板の間で 2時間ほど
正座をする修行が課せられていたのですが、
これが、両足に
ものすごい激痛(>_<) が 走り続け、
とても耐え難いものでした
もちろん シゴキではないので、限界がきたら 足はくずしてもいいのですが・・・
日毎に 慣れていくのかな~
とも 思ったのですが、
痛みの度合いは 変わらず、
苦痛にあえぐ日々が続きました (´□`)
それでも修行ですので、やり続けなければなりません
まさに、地獄のような毎日でした
そんな時、
恩師が 私
たち修行僧を集め,
ご指導を してくださいました・・・
修行が始まって1ヶ月が経ったが、
だいぶ苦しんでいるようだな
しかし、
「 苦しい 」 という思いは
自分自身の心が つくりだしているのだ
つまり、
自分のすべてを
仏様に おまかせしきれてないから苦しいのだ
そのように おっしゃいました。
その時は、よく理解できませんでしたが、
とにかく、言われた通りやれるよう
頑張るしか ありませんでした
そんな ある日、私は、
共に修行している仲間が、
正座による足の激痛に 立ち向かっている
その必死な姿に感化され、
自分も このまま負けたくないと思い、
「もう自分の足が どうなってもいい」
「折れてもいい 壊れてもいい」
と 心の中で叫び続け、必死に立ち向かいました
そして、
自分の精神的な限界を超える領域にまで 到達すると・・・
不思議なことに、
そこには、
苦しみから解放された自分が いました。
あれ?
足は、ものすごい痛いんです・・・
が、
精神的に苦しくないんです
私は そのとき、
と 思いました( ゚ ▽ ゚ )
恩師の言われた、
すべてを仏様に おまかせする ということ、
南無のこころ に徹する ということ、
それは、
それまでの私の常識を超えた
安心立命(あんじんりゅうみょう)
の境地だったのです
それは、自分の中で
「もう どうなってもいい」
という 捨て身の覚悟ができた時、
はじめて到達できた世界でした
とかく、
私たち人間は、
自分の限界を決めつけてしまい
「もう無理だ・・・」
「もうダメだ・・・」
と、自ら苦しみを生み出してしまっています
しかし、
私たちが
考えている以上に
人間は 大いなる
可能性を
秘めている
と いうことを知りました!
とはいっても、
私も まだまだの人間です。
正座だけではなく、
どんなことに対しても、
南無のこころ になれるよう
日々、修行しています
そうなれれば、
もう恐いものなど ありません (^o^)/
共に はげみましょう!
苦しかったけど、素晴らしい体験をさせていただいたことに感謝 (-人-)
[補足]
今回の記事は、信仰的な境地を綴ったものなので、
少々わかりづらい面もあったかもしれません・・・
ので、補足いたします。
つまり、
自分が毎日 出会う出来事のすべてを
自分にとっての ”修行”だと、心から思うことが出来れば、
たとえ辛く苦しいマイナスに思えることですら、
己の内面を磨かせてもらえること、
自分自身にとって必要なこと、
プラスに変わっていくんです!
それは、
日常のすべてが、仏様が授けてくださるものだという
南無のこころ=信心から生まれてくる境地なのです。
ますます??? わからなくなってしまった方は、ゴメンなさい(苦笑)