キンキン | 自称・家元の自称・家元的こころ

キンキン

 今、某有名動画サイトにて「死ね死ねブルース」を聴きつつ書いておるのですが。

 人生ゲームハイ&ローがやたら好きで、小さいころ(多分5歳でこぼこ)に、当時布団屋を商っていた実家のはんこ入れ(風月堂のゴーフルのカンカン)に「愛川欽也」と彫刻をさせていた(時を教えてくれたのはばあちゃん。ファンキー!)、そんな幼少期を今でも鮮明に覚えているのです。

 キンキンが好きだったのです。でも、「死ね死ねブルース」は最近知ったところでして。常田富士男さんの「私のビートルズ」「とっぴんからげて逃げられて」(後者はタイトルあやふや)のような、当時は気がつかないが後ほど気がついて衝撃、というような、何というか「雰囲気」を、当時5歳ぐらいの私が気づいていた、ということなんでしょうか?

 大好きなキンキンが、文太兄ィとともに「トラック野郎」で活躍しているのを知ったのも大学生のころでしたし、サイキック青年団で兄貴が「キンキンは浮気できませんよ、なぜなら…」といろんな情況証拠を因数分解したその先を胸にしまって、とはいえ好きだキンキン、と思ったクチなのでね。

 戦争体験のある芸人、具体的にいえば小沢昭一さん、キンキンをはじめ昭和9年会のメンバー、などなどが、もうじき40ではあるが「若造」「洟垂れ小僧」どもに生き方を示してくれてるように、勝手に思うのです。実質、先の大戦以降アメリカさんの配下になったけども、とはいえ日本人としての土性っ骨を保っていくことを教えてくれてるような気がするのです(談志家元もそうだと思います。アメリカ、国会というラップ曲には凝縮されていると思う)。

 権利を主張するということの大切さとともに、義務を果たすことの大切さも教えてくれる(くれた)世代が、彼らなんじゃないかなぁ?あとは、私の世代だと両親がその世代か。戦中戦後の混乱期を強くたくましく生き抜いた心意気を、酒を片手に伺いたいと思うのです。