今回はたまには私の話ですが
7月11日は20回目の祥月命日でした。
思いきり風邪をひいて
寝ているうちに終わった気がします。
そして、話すことが
本当にきっかけとなると思う出来事がありました。
図らずも20年前の7/11は
DVでボコボコなとこに
妊娠して流産したその日です。
看護師として夜勤中の出来事でした。
流産は朝の6時台
22時半からの夜勤では
ずっとお腹が痛かったんです。
今思えば
陣痛のような感じだったのでしょうね。
当時は
NICU(新生児集中治療室)で働いていて
過酷な勤務で
仮眠どころか休憩も取れない
そんな日でした。
そう、兄の時と同じで
何もしようがなかった
知識もなく
それがそうともわからず
助けようがなかった。
そして、
人の子どもを助けながら
自分の子を見殺しにした自分が許せなくて
責めまくり
世の中の全ての男性を憎み
妊婦さんを憎み
子連れの人を憎み
↑
完全に八つ当たりでしたが
ショックでまったく食べられなくなり
10日で6キロ痩せてふらふらでした。
20年前の壮絶さを考えるだけで
吐きそうになります。二度とあれはイヤだ
誰にも言えなかった私が
この件を話せるようになるまで
7年かかりました。
最初の3年間記憶ありません。
生きているのか死んでいるのか
夢遊病みたいな感じで
何とか生きてきました。
ずっと自分を責め続けました。
私が悪いから
罰を受けても仕方がない
天罰なんだ
そう思って責めて責めて生きてきました。
そうしたら
人生でこれ以上
もう、最悪なことはないと思っていたのに
もっと最悪なことが起きたんです
(ちょっとここでは書けません)
悪い意識は連鎖する
人の考えかた次第で
こんなにヤバいことになるんだと
ゾッとした瞬間でした。
3年後、ある日鏡を見たときに
ボロボロよれよれの自分に気づいて
衝撃を受けて
27歳でこれはひどい!
人生このままじゃダメだと
ようやく、自分の状況がおかしいことを
問題視出来たところから
次のステージへの
模索が始まったのでした。
長かったです。
そこから凍りついていたいた人生が
少しずつ動き始めるキッカケになりました。
少しずつ自分と向き合い
ひとつずつ課題を手放して
20年経って
今踏ん張れているのは
この時の経験と
ズタズタだった自分を
取り戻して
人生の流れをひっくり返して
考えかたも
受け止め方も
切り替え方も
違う自分に変わっていたから。
じゃなかったら
兄の件も
きっと耐えられなかっただろうな
今思うのは
あの時逃げないで踏みとどまってよかったな
と思っています。
どん底にいたからこそ
何倍も何倍も
命を豊かにしてくれた
だからこそ
いましんどいところで
何とか踏ん張っている方々にも
大切な存在を失くしたかたにこそ
何かできたらと
言葉にする場が作れたら
そう思って
感謝を込めて企画しているのかもしれません。
兄ちゃんには
死んでからはじめて出会う
甥っ子姪っ子に
遊んでもらうことにしましょう。
よろしくね。
7/13分は明日13日12時で締め切ります
お申込みはこちらから↓


