JDA春季大会が、3月7日(日)に開催されますね。
論題: 「日本は公職選挙法で定める全ての選挙について、投票の棄権に罰則を設けるべきである」
この論題は、過去にディベート甲子園中学生の部で2回採択されている論題です。
JDAとは異なり、付帯条項がついています。
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第2回
「日本は選挙の棄権に罰則をもうけるべし。是か非か」
*「選挙の棄権」とは、投票しないことであり、白紙投票は含まない。
第16回
「日本は選挙の棄権に罰則を設けるべきである。是か非か」
* 公職選挙法で定めるすべての選挙を対象とする。
* 棄権とは、投票しないことであり、白紙投票は含まない。
* 1回の棄権につき過料1万円を課す。
* 病気等やむをえない理由による棄権は除く。
* 収入は選挙についての広報にあてる。
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ネット上で、検索してみると、
・第16回大会の論題解説
・某有名サイト×2(第16回中学決勝戦解説、なぜ?本当に?×3)
あたりが、ディベート的に有益な情報を含んでいるように思いました。
(根拠資料という意味ではありません)
今回は、第16回大会の論題解説を読んでいて、
思索したことをつらつらとまとめてみたいと思います。
論題解説で気になったのは、最後のパラの部分です。
引用します。
「ところで、この論題は、第2回ディベート甲子園でも中学論題として採用されており、早い段階から試合で議論される論点が固まっていると思います。
しかし、過去に扱われた論題であるからこそ、単に「投票率が上がることはいい」とか「政治家の質が低下してしまうかも」といった短絡的な議論に終始してしまわずに、選挙の役割や重要性を深く分析した本質に迫った議論に基づいて、試合が行われることを期待しています。
選挙の本質とは何か、選挙はなぜ大切なのか、どうしたら日本にとってより望ましい政治を実現できるか、を深く掘り下げて考えることが、非常に重要になってくるのではないのでしょうか。」
ここでいう「短絡的な議論」とは何か。
論題解説において、その直後に、選挙の本質を深く掘り下げて考えることが非常に重要、
と提示しているとおり、
私も、論拠(ワラント)の掘り下げが十分でない議論のことだと理解しています。
(この点については、先程の「なぜ?本当に?×3)」が参考になります)
ちなみに、私の拙い学生時代、某有名コンサルタントO氏の教えをディベートにも適用し、
「WHY」と「SO WHAT」を5回繰り返すことを自身のテーゼにしていました。
(必然的に論拠の掘り下げを行っていたように思います)
ここで更なる疑問が浮かびますね。
なぜ、ディベートにおいて短絡的な議論をしてはいけないのでしょうか?
(裏返せば、短絡的な議論をしてはいけないことの論拠は何か、ということです。)
私は、短絡的な議論は説得力が弱い(十分に詰められていない)ことから、個々の議論に勝ちきれず(相手の議論に対して、どこが優っているか十分に示すことができず)、よって、ジャッジを想定しているレベルに説得することを難しくし(議論の有無の判断がジャッジ任せとなり、決着させることができないため)、試合に勝つことから遠くなるためと認識しています。
そこで、どの程度お伝えすることができるか、かなり心配ではありますが、
論題解説において、短絡的な議論として提示されている例を基に、ゆるゆると考えてみたいと思います。
「投票率が上がることはいい」
仮に、私がジャッジだとして、
肯定側の議論で、「投票率が上がること」がメリットである場合、
重要性で、なぜ投票率が上がることがよいことなのかを根拠を付けて提示していなければ、
肯定側の議論をそれほど大きく取れないように思います。
(もちろん根拠の説得力次第です。ここで知りたいのは、例えば、投票率が高いこと自体の意義であり、必要性であり、それによってもたらされる何かだからです)
では、どのような根拠があれば、ジャッジは、説得力があると判断するのでしょうか。
とりあえず、この点について、一端議論から離れて、
5回ほどWHY&SOWHATをしてみたいと思います。
<1回目>
【WHY】 なぜ投票率が上がることはいいことなのかねえ?
【SO WHAT】 そりゃあ、投票に行く人がたくさんいる方がいいじゃん。
<2回目>
【WHY】 なんで、投票に行く人が多い方がいいの?
【SO WHAT】 日本は代表制民主主義を採用しているよね。とすれば、個々人の意思表明が多い方が望ましいんじゃないのかな。
<3回目>
【WHY】 意思表明が多いことが、なぜいいのかな?今だって6割の人たちは積極的な意思表明(=投票)をしていて、残りの人たちは、消極的な意思表明(=投票しない)をしているとも考えられる。とすれば、なぜ、意思表明を投票という方法で表さなければならないのだろうか。そこがよくわからないんだよね。
【SO WHAT】 投票しないことを意思表明として捉えることには、反対だな。単なる無関心なんじゃないの。投票まで行くことで、真剣に考えることができるんじゃないかな。投票の段階で、誰にも入れることができないと判断したのであれば、白紙投票すればいい。無関心ではなく、白紙投票する意思を持つことが、本来の意思表示といえるんじゃないだろうか。
<4回目>
【WHY】 それにしても、罰則で投票を実質的に義務づけることは行き過ぎじゃない?休日を取ることすら、難しい労働者がたくさんいる現代日本の状況で、休日をとって選挙の会場にまで無理矢理行かせることまでして達成しなければいけない利益って、何なのかな。エゴだよ、それは。
【SO WHAT】 選挙って、それくらい大事なものなんじゃないの。今は、事前投票や在宅投票の制度も拡充して利用しやすくなってきている。それは、そのくらい選挙が大事だから、みんなが参加できるように仕組みを作ってきているんだと思うんだよね。それでも、6割程度しか選挙にいかないのは、目指すべき民主主議の形から遠い状況にいるからだと考える。罰則で担保してでも、投票率をほぼ100%にすることで、その目標とすべき形の達成、望ましい社会の実現を目指すことこそが、大事なことなんじゃないだろうか。
<5回目>
【WHY】 で、なんで投票に行く人が多いと、その目標や望ましい社会の実現につながるの?
【SO WHAT】 投票率が6割といっても、その内容を分析してみると、年代が高いほど投票率が高く、年代が低いほど、投票率が低いという傾向がある。例えば、20代の投票率は30%台だしね。この率を引き上げて、各年代の投票率をほぼ100%にすることで、これまで政治に参加しなかった人、意思表明自体を実質的に放棄している人たちが参加できる社会を実現すること自体が我々の目指すべき方向性だよ。なぜならば、、、、、、、(以下略)
…5回目までやってみましたが、ちょびっと方向性が見えてきたような感じですね。
まだまだ試合で展開するロジックにするには、煮詰めていく必要がありそうです。
また、議論が横(様々な議論)に広がってきているのを補正して、
更に縦(主要な議論)に掘り下げてみる必要がありそうです。
最後に、出発点の議論に戻ったようですが、これは、
ぐるぐる考えて、一周したときは、出発点(=問題意識)に戻って考えるのが有益との考えからです。
一個一個の議論をぎりぎり詰めて(=掘り下げて)いくことで、
「短絡的な議論」とならず、論拠付きの説得力がある議論になります。
(ただ、実際に試合に勝つためには、詰めた議論をどのように自分の議論として使うか落とし込んでいくことが不可欠だと思います)
以上、思索のレベルで恐縮ですが、議論構築の際の参考になれば幸いです。