小池都知事を“ポピュリスト”ないし

その政治手法を“ポピュリズム”とする評論に関するコメント

 

 

【 要旨】

小池百合子都知事のやり方を「ポピュリズム」であるとして批判する意見が、多くはないものの時折見受けられる。しかし、ポピュリズムを定義から紐解き、また実際の小池都知事の政治活動と照らし合わせれば、それらの批判的な意見が的を射ていないことは明らかである。

 

 

第1項 ポピュリズムの定義

1 水島治郎千葉大学法政経学部教授による定義

 以下は、水島治郎著『ポピュリズムとは何か』(中公新書)からの引用。下線部については、断りがなければ私の引いたもの(以下同じ)。

 

 

(1)ポピュリズムについては、これまで2種類の定義が使われてきた。

 

第1の定義は、固定的な支持基盤を超え、幅広く国民に直接訴える政治スタイルをポピュリズムと捉える定義である。

日本では、ジャーナリズムにおいても「指導者が大衆に直接訴える政治」の意味に用いることが多い。

 

第2の定義は、「人民」の立場から既成政治やエリートを批判する運動をポピュリズムと捉える定義である。

ポピュリズムとは、政治変革を目指す勢力が、既成の権力構造やエリート層を批判し、「人民」に訴えてその主張の実現を目指す運動とされる。

なお、この二つの定義はどちらが正しい定義というものではなく、相互に排他的とも限らない。

 

 

(2)第2の定義を前提としたポピュリズムの特徴

 

 第1の特徴は、ポピュリズムがその主張の中心に、「人民」を置いていることである。「人民」の要素は3つに分類される。

①  普通の人々・・・特権層によって無視されてきた「普通の人々」が、ポピ

ュリズム政党の念頭に置く「人民」である。そもそもポピュリズムにおける理解では、「普通の人々」には「健全な人間理解」が備わっており、腐敗したエリート層の発想に勝る。

②  一体となった人民・・・ポピュリズム政党は、特定の団体や階級ではなく、

主権者たる国民、人民を代表すると主張する。この人民の一体性を前提とする点でポピュリズムは、民意が多様であるとみなす「多元主義」の対極に位置するといえよう。

③  われわれ人民・・・この場合の「われわれ」は、何らかの同質的な特徴を

共有する人々を意味し、それ以外の人々と「われわれ」を区別する。

 

 

第2の特徴は、「人民」重視の裏返しとしてのエリート批判がある。政治・経済のみならず、社会的にも文化的にも一握りの人々が支配を固めていることを前提とし、人民の「健全な意思」を無視する「腐敗したエリート」の支配が批判される。

 

 

第3の特徴は、いわゆる「カリスマ的リーダー」の存在である。

 

 

第4の特徴は、そのイデオロギーにおける「薄さ」である。ポピュリズムの特徴はまさにその反エリートの姿勢にあるのであって、具体的な政策内容で特徴づけることはできない。支配エリートの持つイデオロギーや価値観が変われば、ポピュリズムの主張も合わせ鏡のように変わるのである。

 

 

 

2 ヤン=ヴェルナー・ミュラー/プリンストン大学政治学部教授による定義

以下は、ヤン=ヴェルナー・ミュラー著『ポピュリズムとは何か』(岩波書店)からの引用である。

 

  ポピュリズムについての七つのテーゼ

 

(1)  ポピュリズムは、近代民主政治の本来的な一部でもなければ、非合理的  な市民が引き起こす病理の一種でもない。代表政治の永続的な影である。

(2)エリートを批判する者がみなポピュリストというわけではない。

 反エリート主義者であることに加えて、ポピュリストは反多元主義者である。ポピュリストは、自分たちが、それも自分たちだけが、人民を代表すると主張する。

(3)しばしばポピュリストは、人民の意志としての共通善を主張するだろう。

よく調べてみると、ポピュリストにとって重要なのは、本物の意思形成プロセスや、常識を備えたものがみな確認できるような共通善を生み出すことではなく、正しい政策の源泉となる「真の人民」を象徴的に代表することであるのが分かる。

(4)  しばしばポピュリストは、レファレンダム(国民投票、住民投票)を要求するが、その意図は、市民の間で民主主義的な意思形成の無限のプロセスを始めることにはない。

(5)ポピュリストは統治することができるし、彼らだけが人民を代表すると

いう自らの基本的な約束に沿って統治するだろう。ポピュリストは、憲法も起草できる。これは、本来的かつ真正な人民の意志を永続化させるという名目のもと、ポピュリストの権力維持を目論む、党派的ないし「排他的」な憲法となるだろう。格好の事例は、トルコでの大統領の権限強化を目指す憲法改正の是非を問う国民投票の実施(4月16日)である。エルドアン大統領は、賛成多数(51.5%)となったと「勝利宣言」したが、これによりトルコの将来像は大きく変わることになるだろう。(下線部は私が追加している)

(6)ポピュリストは、彼らの実態―(「リベラリズム」だけでなく)民主主義

にとって真の脅威だということ―ゆえに批判されるべきである。

(7)ポピュリズムは、しばしば主張されるような、政治を「より人民に身近に」するとか、人民主権を再評価するとかいった意味で、自由民主主義を矯正するものではない。

 

 

ここまでは、ポピュリズムの定義について分析した。一番着目すべきポイントは、ポピュリズムが反エリート主義だけでなく、反多元主義であるということだろう。ここから先は、この定義にもとづいて、小池知事をポピュリストとする評論の書籍やブログ記事、あるいはそういう意見があると紹介している文章について検証し、僭越ながらコメントをさせていただく。

 

 

 

第2項 小池都知事をポピュリストないしその政治手法をポピュリズムとしている評論に関するコメント

 

 

1 角田勝彦『ポピュリズムに迎合してはならない』

 

以下、「 」は引用部分。下線は断りがなければ私の引いたもの。

「“民の声”は“神の声”という。都知事選での小池百合子氏の291万票獲得は、自民党石原伸晃都連会長に“完敗”を自認させた。・・・ポピュリスト(大衆迎合主義者)の批判はあるが、政党の組織力に頼らず小池百合子氏が獲得した都民291万票の支持は、“民の声”であろう。・・・小池百合子氏の勝因としては、自民党の“いじめ”(極めつきは党都連所属議員が非推薦候補を応援すれば、処分するという都連会長名の文書)を逆手にとって、日本人の判官びいきの感情を利用した、卓越したポピュリスト的手腕が指摘されている。しかし、選挙民の支持を獲得するためには、演説上手など候補者の個人的魅力が重要なのは、いかなる選挙でも同じである。人気が高いからといって、それだけでポピュリストとは呼べない。・・・」

 

 

⇒コメント:

「諸政党が学ぶべきことが二つある。第一は、無党派はもちろん、そうでない国民も、政党の公約や推薦を投票の判断基準にするが、盲目的に従うわけではないことである。・・・第二は、国民投票には慎重な対応が必要なことである。」

角田氏は、この2つの教訓をもって「ポピュリズムへの迎合」を抑止しようと考えているのだろう。(ポピュリストの仕掛けた)国民投票の罠に落ちたイギリスの例もある。少なくとも小池百合子氏をポピュリストとして批判の対象としているわけではなさそうだ。

 

 

(参考)『改めて考える“ポピュリズム”とは一体何か?』水島治郎×遠藤乾×荻上チキ(荻上チキSession-22:TBSRADIO)

水島「(ポピュリズムとは)様々な解釈がありますが、やはり本質にあるのは、

反エリート、反既成政治、反既得権益だと考えます。・・・メディアでは、利益

をばらまいて人気取り政治をする人を“ポピュリスト”と呼ぶ場合も多いのですが、近年の・・・事例を考えると、むしろ下から上への反逆、一般大衆のエリートへの反感をすくい上げて政治運動に変えていくといった側面が強いですね。また、現代においては、“人気取り政治=ポピュリズム”と定義してしまうと、どんな政治家もポピュリストになってしまいます。そうすると、ポピュリズムの持つ劇薬のような性質が見えなくなるんですね。」

 

 

2 すぐびん『小池百合子がポピュリズムである4つの理由“ポピュリズムとは何か”』

   (http://sugubin.com/2017/02/15/7389/

 

すぐびん氏は、水島教授の『ポピュリズムとは何か』を引用しながら、展開している。

まずはポピュリズムの定義からとして二つの定義を挙げ、「どちらも小池百合子

とぴったり合致」とし、さらに水島教授の「ポピュリズムの4つの特徴」を順に検討している。

 

①「ポピュリズムは主張の中心に「人民」を置いている。・・・これに対しては“都民ファースト”、この一言で十分だろう。」

 

⇒コメント:

学術論文ではないにせよ、これでは“十分”とは言えないだろう。水島教授は、カノヴァンの「人民の3要素」を引用して説明しているが、中でも2つ目の「一体となった人民」が重要なのではないか。「この人民の一体性を前提とする点でポピュリズムは、民意が多様であるとみなす“多元主義”の対極に位置する」がゆえに、“民主主義の脅威”となると考えられているからである。

ひるがえって、“都民ファーストの会”の体質をみると、とてもそのようなものとは考えられない。

 

②「ポピュリズムは“人民”重視の裏返しとして、“腐敗したエリート”の支配

を批判する。・・・敵対可能な権力とは徹底的に戦って存在感アピールに使っている。・・・情緒的支持を背景に、次々と打ち壊していく。手段のための批判。」

 

⇒コメント:

この部分は政治的な立場の違いと考えられるので、反論しても意味があるか大いに疑問があるが、小池都知事以前の都庁の行政、あるいは都議会のあり方に問題はなかったのだろうか?

 

“のり弁”といえば、東京都の情報公開資料が浮かんでくるようなお粗末な情報公開制度。市場担当の幹部職員の中にも盛り土がないことを知らない者がいたことに加え、HPでは虚偽の情報を掲載し続けていた“無責任体制”。

本年2月末には、2001年10月施行の都環境確保条例に基づく事前の届出・調査が必要な工事が築地市場において行われていたにもかかわらず、2001年以降8件の建設工事に際して届出が未実施であるという都庁の不手際が発覚している。2001年以降という期間が示しているように、小池知事になっていなかったら、公にされていたか大いに疑問があるところである。

 

極め付けは、6,000億円もの巨費を投じたプロジェクトなのに、何時、どこで、誰が決定したのか不明なことである。百条委員会において、石原慎太郎元都知事は、「当時のピラミッドの頂点にいた私が決裁をした。・・・その責任は認めます。」としつつ、「重要な事項については、知事の了解を得ていた」との当時の都庁幹部の証言については、「覚えていない」「担当者の一任していた」と逃げるばかり。その姿は、明確な戦略、開戦から終戦までのシナリオなどを十分に検討することなく、空気に支配され開戦し、敗戦処理も責任をもって対応しきれなかった旧日本軍の幹部を彷彿とさせる。

 

小池知事の愛読書『失敗の本質』の著者(戸部良一氏ほか)が30余年前に「日本軍の組織原理を無批判に導入した現代日本の組織一般が、平時的状況の下では有効かつ順調に機能したとしても、危機が生じた時は、大東亜戦争で日本軍が露呈した組織的欠陥を再び表面化させないという保証はない。」と警告している。シャープ、東芝、東日本大震災発生時の福島原発の危機管理等々既にいくつも露呈しているが、“豊洲市場移転問題”も仲間に入ると思われる。

 

無責任体制といえば、東京都の問題ではないが、“森友学園の問題”があげられる。8億円もの減額の根拠は何か。国有地の売却は歳入につながるものであるわけだから、所管省庁はしっかり説明責任を果たすことは当然の義務であるはずだ。どのような経緯でその結論に達したのか、資料を基に(公文書の記録の仕方及び保存・管理の体制を今一度見直すべきではないか。)きちっと説明すべきだと考える。

 

小池都知事の取り組む情報公開を一丁目一番地とする東京大改革(都庁の体質改善もその一つ)は、そのような無責任体制を改革することにつながると考える。多くの都民も、小池知事が多くの論者が仮想敵と呼ぶ対象(自民党東京都連、都議会のドンといわれる内田都議等)と衝突する中で、都庁の無責任体制の状況を知り、また、その取り組みにより問題の解消の方向に進むと期待している。知事就任からもうすぐ一年にならんとするのに支持率が下がらないという事実がそれを証明しているのではないか。

 

 

(参考)小池知事の支持率

①  産経・FNN合同世論調査(3月)

小池知事支持率は、79.3%(2月比+1.8%)なお、小池知事支持率は常に8~9割で推移している。

②  朝日新聞世論調査(4月)

小池知事支持率は、74%。小池知事は、4月7日の定例会見で「高い数字で驚きだ。」特に、自民支持層の支持が高いことについて、「流れが、(昨夏の)知事選の時と変わっていないのが驚きだ」と述べている。

 

 

3 善意の挑戦ボケ爺のおせっかい氏『ポピュリズムと小池百合子都知事』

   参照:https://blogs.yahoo.co.jp/ki1223ki1223/15193952.html

 

⇒コメント:

“すぐびん氏”と同じく水島教授の著書を引用して展開しているが、なぜ小池知事がポピュリストなのかが伝わってこない。むしろ「人気が高いからといって、それだけでポピュリストとは呼べない」(1の角田勝彦氏)ということではないか。「よく見て自分で考えてみるボケ爺です」と述べておられるが、水島教授の著書とじっくり取り組まれることをお勧めする。

 

4 保守と日傘と夏みかん氏『小池百合子のポピュリズムを退けよ』

   参照:https://ameblo.jp/pen-nat/entry-12261987619.html

 

保守と日傘と夏みかん氏は、「小池百合子都知事をめぐる連日の大騒ぎは、小泉内閣をめぐるフィーバーから大阪の橋下ブームに連なるポピュリズム支持の総決算なのだろう。・・・、現代ポピュリズムに共通するのは、マスコミを巧みに利用し、熱狂を作り上げることにある。・・・とにかく話題になることを最優先し、テレビジャックを行うことで、大衆的支持を獲得しようとする。小池は、“メディアは私の最大の味方”と発言しているが、まさにメディアとの蜜月によって成立しているのが、“小池劇場”の実態である。・・・小池の戦略は、小泉・橋本を見事に踏襲している。・・・大衆は、熱しやすく、冷めやすい、ポピュリスト政治家は、次々にターゲットを変えながら、バッシングを喚起し続けることで、権力を肥大化させていく。・・・小池は政治塾を立ち上げ、新党結成を模索しているともいわれている。維新ブームしかり、小池ブームしかり、そろそろいい加減にしなければ、日本政治が根本的に崩壊するだろう。小池百合子に乗せられるな。」としている。

 

 

⇒コメント:

小池百合子都知事をポピュリストとしているが、どのような側面をとらえて結論付けているのか不明である。また、小池ブームがどのようにして日本の政治を根本的に崩壊させるのかそのメカニズムも不明である。したがって、2の“すぐびん氏”の②と同じく、反論しても意味があるのか疑問であるが一言。

 

一般論として、「ポピュリズム政党がデモクラシーの質に与える影響が、二つの条件によって、大きく変わる」(水島治郎『前掲書』)という。「まず、野党としてのポピュリズム政党の存在は、排除されてきた社会集団の参加を促し、かつ既成政党に緊張感を与えることでデモクラシーの質を高める方向に作用」し、「特に、安定したデモクラシーにおいては、ポピュリズム政党の出現はデモクラシーを活性化させる効果があるという。他方、ポピュリズム政党が政権を獲得した場合、特にそれが、安定的なデモクラシーを実現していない国の場合には、ポピュリズム政党はデモクラシーに対する脅威として立ち現れる」(水島治郎『前掲書』)と言われている。

 

研究者たちの分析によれば、わが国が安定したデモクラシーの国であれば、小池新党はデモクラシーの質を高めることになるはずである。逆に、安定したデモクラシーの国ではないとした場合は問題だ。「森友学園問題」にみられるように、説明責任を果たそうとしない政治。「民間人をいきなり“証人喚問”するのは問題だ」としながらも、総理の名誉に関わるとなれば、前言を撤回、証人喚問を実施し、そこでの証言をとらえて「偽証罪」で脅しにかかるような取り巻き連中。国民が求めている真相の解明はほったらかしだ。失言大臣・政務官、政務調査費を小遣いと勘違いしている議員たち等々小池ブームと全く関係ないところで日本の政治は崩壊しつつあるのかもしれない。逆に、だからこそ小池都知事に期待が集まるのかもしれない。

 

 

5 mew-run7氏『小泉、小池、トランプの劇場型政治~ポピュリズムよりも政治の中身を国民にアピールしないと』

   (http://mewrun7.exblog.jp/25121878/

 

mew-run7氏は、「・・・21世紀にはいって、日本の民主主義を大きく後退させた(ぶっ壊してしまったのか)小泉純一郎元首相による“ポピュリズム的”な“劇場型政治”であることは間違いあるまい。・・・何か、この“劇場型政治”“Post Truth”“反知性主義”“ポピュリズム”などなどは、めっちゃ重なる部分があるように思えるし、この辺りを国民が自覚して、これらを打破してゆく方法を考えないと、安倍レジュームからの脱却は難しいのかもしれない。・・・しかも今年もこの“劇場型政治”のパワーはすごくて。昨年、日本では都知事選挙で小池百合子氏が見事に成功して、自民党の公認候補に圧勝することに。・・・」としている。

 

4の“保守と日傘と夏みかん氏”の評論と同じ読後感である。したがって、コメントもまったく同じということになるが、一言述べさせていただく。

 

⇒コメント:

「日本の民主主義を大きく後退させたのは、小泉元首相である」としているが、正しくは、鳩山由紀夫、菅直人、小沢一郎の3氏がリードした民主党政権の稚拙な政権運営が日本の民主主義を息の根を止めたのではないか。

外交・国防の基本も理解せず立ち往生の末、退場した鳩山氏(今も恥の上塗りのような行脚をしているではないか)。東日本大震災の際、指揮官(菅氏)が現場に突入して混乱を招くという低次元の危機管理体制。宿痾(しゅくあ=治らない病気のこと)ともいえる小沢氏のぶっ壊し等々いずれも国民の期待を大きく裏切るものだ。

国民の大きな期待を受けて、健全な政権交代体制としてスタートしたにもかかわらず(そのために選挙制度を小選挙区制に変え、数年にわたる政党の離合集散という準備期間を経たはずだ)、3年たったら民主党は雲散霧消の状況である。

 

 

 

●まとめ

 

以上、小池知事をポピュリストとする文献や記述を検証してきたが、いずれの批判も単純に「メディアへの露出をしている=ポピュリズムである」といった調子で決めつけており、ポピュリズムの本来の性質・定義を十分に把握していないようである。また、現状を批判するものの、以前の体制がどうであったのかは棚に上げられているケースも見受けられる。

 

今回の検証によって、小池知事の政治がポピュリズム、すなわち反エリートかつ排他的であるとは言えないということはお分かりいただけたと思う。政治家である以上、何らかの立場から批判を受けることは都知事も覚悟の上だろうが、批判する側も十分な知識を持った上で公平に判断することが肝要であろう。