地域政党と二元代表制の関係を考える

 

、要旨

小池都知事が実質上率いる「都民ファーストの会」が他勢力と結びついて都議会の多数派を握ることについて”独裁である”との批判があるが、必ずしもその批判は正当ではない。
<批判する人々と背景>
・下村自民都連会長・・・小池都知事の敵対勢力 →政治的立場の影響大
・佐々木信夫中央大学教授・・・自身が顧問をしていた大阪府でも、橋本府知事時代同じ状況があった →橋本府政との対比がなければ”小池独裁”の説得力がない
<これまでの体制>
・石原都政では形式上”二元代表制”であったが、実際には都知事と議会トップが癒着し、独裁に近い状態であった。 →小池都知事=多数会派を率いる(可能性)=独裁とは限らない
<重要な前提>
・都知事も都議会議員も、ジャッジするのは都民
・小池氏の諸々の改革には、まず都の体質改善が必要な条件となる。
・そのため癒着防止のための情報公開が、小池都政の出発点となっている。

 

1、二元代表制の視点からの批判

下村自民党都連会長が今月21日、「小池知事のイエスマンのような人たちが、都議会の過半数を確保すれば、都政そのものが失墜する」と述べている。

佐々木信夫中央大学教授も「都知事が党首になり、都議会で多数勢力を形成し、都議会を差配する。・・・行き過ぎた政党政治を都政に持ち込むと、行政は歪み、知事独裁ともなりかねません。・・・」(『小池都政半年・・・これからの課題』2017.1.9視点・論点)と述べるなど、小池知事と都民ファーストの会の活動について二元代表制の視点からの批判は多いが、ここではお二人の意見について検討してみたい。

 

2、検討

まずここで着目すべきは、批判しているこの論者の政治的立場である。下村氏が都民ファーストの会に対立する勢力の代表であることを考えると、彼の批判は純粋に理論的な見解というよりも、彼自身の政治的な立場が大きく影響しているのではないか。いずれにせよ、そもそも「都民ファーストの会の候補者が小池知事のイエスマンで二元代表制の期待する議員とはなりえない」と判定するのは小池勢力でもその反対勢力でもなく、都民である。小池都知事や都民ファーストの会によって都政がよくなったのか悪くなったのか、その判断は下村氏の下せるところではないだろう。

 

また、佐々木教授は「都知事である小池さんが実質的なリーダーとなっている「都民ファーストの会」が都議会で多数派を占めると知事独裁になると批判している。しかし、この構図は、小池知事になって初めて現れたものではない。橋下徹大阪府知事(2011年4月から大阪市長)が先輩格である。佐々木教授は、2012年、橋下大阪市長から大阪市特別顧問を委嘱され2015年(橋下市長任期満了)まで努めているが、大阪市政に何か問題があったのだろうか?小池都政を批判するのであれば、顧問をしていた橋下市政と対比しなければバランスを欠くと思うが、いかがであろう。

 

さらに、都知事選の時、「小池候補は自民党員ではない」といった石原伸晃都連会長の発言や石原会長と内田茂幹事長の連名で「都知事選における党紀の保持について」という文書が出されているが、これらの動きはまさに「行き過ぎた政党政治を都政に持ち込んだ事例」だと思われるが、それについてはどういうわけか、特に問題にされていない。

 

次に、理論的に検討するとすれば、石原知事時代との対比も意味があると考える。

石原知事時代に問題はなかったか。

形式上、知事と議会は対等で、独立しており、二元代表制が実現していたように見えるが、振り返ってみると問題はかえって深刻だと思われる。都の幹部はごますり競争の状態で、明らかにうまくいかないとみんな分かっていた新銀行東京をつくるために、莫大な税金を注ぎ込む石原さんの指示通りに走り回っていた。

議会も同じで、議会を差配する多数会派の実力者が石原知事と利害関係で結びついたことから、二元代表制の理念は忘れられた。新銀行東京の関係予算は大きな問題の指摘もなく承認されているし、豊洲市場の施設建設の設計予算では、多数会派の実力者が積極的に野党(反対派)を切り崩し、賛成63に対して反対62と際どい状況の中で予算を承認に持ち込んでいる(2011年3月)。

ここには、議会が知事とある種の緊張関係を保ち、対等の機関として執行を監視するといった二元代表制の理念は全く見られない。この多数会派の実力者の持論が二元代表制というのは笑えない冗談である。

 

このことからわかることは、形式的に二元代表制が維持されていてもまったく意味がないということではないか。

 

3、結論

そもそも圧倒的少数派にしか足場を持たない知事は、選挙時に掲げた公約を実現することはできないであろう。そのため、多数会派の支持を得ようとするのは当然である。その時、地域政党(政党要件を満たさない政治団体:都民ファーストの会はそれに該当)を組織することがあっても、そのことが直ちに二元代表制を侵害することにはならないだろう。少なくとも法的に問題があるということではないはずだ。もしそうであれば、大阪とか名古屋で問題になっていなければおかしな話だ。

 

いずれにせよ、地域政党が存在するとしてもそれらは住民の判断で議席を獲得するのであるから、知事独裁とかイエスマンとの批判は「ためにする」議論(結論を出すための議論ではなく、まず結論ありきで、体裁だけ議論をしたように見せるための議論のこと)と言えよう。そしてこれは選挙民である地域住民を愚弄するものではないのか。

 

特に、小池知事のように「都庁の組織(体質)を都民ファーストに変えよう」とすれば、議会の多数会派のみならず、都庁の官僚組織自体との綱引きにならざるを得ない。この状況を考えるならば、徹底した情報公開と議会からの都庁の執行(単なる執行ではなく体質改善につながっているか否か)を監視することは意義があるだろう。なお、小池知事が、都庁の職員が議会の有力者の政治的なパーティへの参加の自粛を求めたが、このような措置も都庁幹部と有力議員との癒着を防止する上で意味があると考えられる。

 

また、議員との接触については必ず記録を残し、その記録は情報公開の対象とすることなどの措置が透明な都政の実現には欠かせないと思われる。(東京都がどこまで対応できているかについては不明だが、)浅野史郎元宮城県知事(1993年ゼネコン汚職により本間知事が辞職、その後の知事選に厚生省を退官して立候補:当選,3選までいく)は、コメンテーターとして出演した時、「宮城県は、このような措置を講じている。宮城県の場合ゼネコン汚職の問題が絡んでいたことから、その後の情報公開も徹底しており、開示当初は多くの混乱もあった。」と語っている。このような措置は、議会の有力議員、都庁の幹部職員双方から反発を受ける措置であるが、それだけ効果があるということを示しているように思う。

 

議会の多数会派に足場を持たない首長は、短命に終わることが多い。したがって、地方自治体の官僚組織は首長の政治基盤が確立するまで様子見に終始することがままある。すなわち、知事の意向、指針に対して前向きに取り組まないこと、少なくとも積極的に取り組んでいるとみられないようにするのだ。今期のように最大会派(都議会自民党)が知事に反対の立場にあり、瞬間風速では小池知事に勢いがあるように見えても、この風が止み、逆風に変わらないと誰も言えないだろう。逆に長期政権になることが間違いないとなれば、石原知事時代のように、役人は手柄争い・ごますり競争に明け暮れることは間違いない。特に、東京都庁のように巨大な組織であればなおさらだ。

 

先日の都議会百条委員会がほとんど成果を見ずに終了したのを見て、時事通信社特別解説委員田崎史郎氏は、「豊洲移転の経緯等は小池知事が都庁の職員を使って調べればいいんです」と述べていたが、そんな簡単なことではないことは、長年の官庁取材で十分わかっているはずなのに、これも「ためにする」議論の一つといえよう。

実際、昨年秋、豊洲市場の謎の地下空間について内部調査を実施し、第一回目が不十分だったから、小池知事がやり直しを命じても、満足な調査結果は得られていない。

 

備考(地域政党が二元代表制を危うくする危険性)

首長(都知事)と同じ政策を掲げる首長政党(都民ファーストの会)の議員が議会内の多数を占めると、首長が提示した政策が地方議会(都議会)で簡単に可決されてしまうため、地方議会の首長へのチェック機能が喪失し、地方自治の基本である「二元代表制」が有名無実化する可能性が指摘されている。

実際に近年、首長と議会の対立が増えていると感じた自治体首長・議長が増えたという調査結果も報道された。一部の地方首長も首長政党の存在を問題視した見解を発表している。例えば、井戸敏三兵庫県知事は2011年3月7日の会見で首長新党について「議会が主張の執行力を監視する二元代表制の趣旨からすれば、配下議員を増やすようなことはいかがかと思う」と懸念を表明している。

(以上、ウィキペディアから引用)