【小池劇場1、二元代表制を考える】

0、要旨

・小池都知事の、これまでの都知事と違うところ

 =積極的な情報公開二元代表制の変革

・情報公開→市民の政治参加を促進

・国=議院内閣制 ⇔ 地方自治体=二元代表制

・二元代表制=知事と議会が独立することによって公平な政治ができるはずの仕組み

⇔石原元知事…議会と癒着していた(公平ではなかったByじいさん)

⇔小池現知事…議会の多数派政党を実質的に率いている(公平ではないBy佐々木さん)

1 はじめに

小池旋風が吹き荒れている。公明党と小池知事が事実上率いる地域政党「都民ファーストの会」との選挙協力も正式に発表され、両者を含む改革勢力が7月の都議選で過半数以上を占めることも夢ではなくなりつつある。
このような状況を見て、「二元代表制」の視点からの批判があがっている。その代表として、佐々木信夫中央大学教授に登場していただこう*1。
「自治体の仕組みは国のような議院内閣制ではない。・・・都知事は本来、公正中立であるべき、・・・今の進め方だと、都知事が党首になり、都議会で多数勢力を形成し、都議会を差配する。・・・行き過ぎた政党政治を都政に持ち込むと、行政は歪み、知事独裁ともなりかねません。・・・」との指摘だ。
   *1(佐々木信夫「小池都政半年 これからの課題」2017.1.19視点・論点)。なお、同様の批判は、佐々木教授のほか早稲田大学名誉教授・元三重県知事北川正恭氏、政治評論家の伊藤淳夫氏なども指摘している。
 

2 二元代表制の視点からの批判とその問題点

わが国が、地方制度として「二元代表制」を採用しているのは間違いないが、これまでの都政あるいは多くの地方自治体の現状に照らしてみれば、佐々木教授の指摘にはいくつもの疑問がある。
まず、「知事は、公正中立であるべきだ」との点だが、これは現実に可能だろうか?これまでの知事が公正中立であったとは思えない。また、住民も望んでいるとは思われない。そもそも議会で多数派の支持を得られない知事は、どんな立派な理念・構想をもっていようと、それを実現することは不可能であろう。
次に、「二元代表制」が維持されていれば、理想的な(住民本位の)行政が展開されるかという点だ。これは石原都政を振り返ってみれば、答えは出てくる。
石原元知事は佐々木氏の指摘する「政党の党首になり、都議会で多数派を形成し、都議会を差配する」*2ことはしなかった。また、当時の都議会の実力者の持論も「二元代表制」であり、その意味で、佐々木教授の主張する「二元代表制」は実現していた。
*2佐々木信夫「前掲論文」
それでは、石原都政時代は問題がなかっただろうか?
都議会に百条委員会が設置されるまでの大きな問題となった『豊洲新市場問題』、また、豊洲に比べてもはるかに大きな問題と考えられる『新銀行東京問題』、「都立大学から優秀な教員が次々と去っていき、・・・新大学では経済学コースが設置できない異常事態も起きた」*3といわれる『首都大学東京の問題』と巨額の予算が投入されたにもかかわらず、当初の目的がとん挫したもの、また、長い期間を要しても当初の目的が達成できていないものがある。
これらに加えて、最近、週刊文春が取り上げている「親バカ血税」、「血税豪遊」等々、このようなものがまかり通っていたとすれば、“マスコミも都議会もなにをしていたのか?”となろう。
*3青木理「石原慎太郎“問題だらけの8年”を再検証する」(2017.3.2)
 

3 石原都政の問題点

石原都政の問題は次のような構造であると考えられる。都議会多数派の実力者は議会を差配するとともに予算審議等を通じて都庁職員にも影響力を及ぼす。また、政権が長期化するにつれて知事周辺の幹部職員も「茶坊主、太鼓持ち」ばかりとなり、ごますり合戦の状況になる。このような状況の下で、知事と議会多数派の実力者が利害関係で結びつくとどうなるか。しかも、都政関係の情報はほとんど公開されないという前提だ。
「新銀行東京の発足にも関与した都庁関係者はこう打ち明ける。『実は都庁内でも当初から“うまくいくはずがない”と囁かれていた。貸し渋り対策というけれど、制度融資など都には中小企業支援のための別の方策がある。なぜ新銀行でなければいけないのか理解できない。そう言って、考え直すよう進言する人もいたんだが、石原知事の命を受けて動く幹部は聞く耳を持たなかった』」*4。都庁内部での検討の積み上げは行われず、“石原知事の拙速と思いつき”に振り回される都庁幹部の姿がうまく描かれている。ドラマなら、笑ってみておればすむが、巨額の予算が投入されていることを考えると、そうもいかないだろう。
   *4青木理「前掲論文」
 

4 二元代表制の形式維持よりも情報公開を通じた都民参加が重要

 以上のとおり、わが国の地方制度が二元代表制を採用しているのは間違いないが、その形式を維持することよりも、「都政の課題、都政の情報を可能な限り公開して、都民の参加を促すこと」のほうがはるかに佐々木教授のめざす理想の(都民本位の)都政に近づくのではないかと考える。その意味で、情報公開を“一丁目一番地”とする小池都政には大いに期待してよいのではないかと考える。
情報公開が東京大改革のゴールでないことは、衆目の一致するところであるが、情報公開の徹底を通じた都庁の体質改善、都庁と都民の関係を変えていかなければ、どんな立派な理念も実現しないか、実現しても定着しなのではないかと思う。
 

5 “知事独裁”とは?

最後に、蛇足であるが、佐々木教授の「行き過ぎた政党政治を都政の持ち込むと行政は歪み、知事独裁ともなりかねません」*5の部分である。
“行き過ぎれば”何事も問題であることは否定しないが、ここではそのような議論をしているわけではないだろう。
東京都知事は東京都民が選ぶ。東京都議会議員も東京都民が選ぶ。情報公開が徹底され、都政の課題を都民が的確に理解したうえで、「小池都知事が事実上率いる地域政党の候補者を選ぶことが、議会の審議を通じて問題点などが明らかとなり都民のための都政となる」と都民が判断した場合、なぜ“知事独裁”になるのだろか?そもそも定期的な選挙で選ばれる“独裁者”は存在するのであろうか?
   *5佐々木信夫「前掲書」
蛇足の蛇足だが、佐々木教授は、他者を批判するときに“○○独裁”ということがあるように思われる。2016年12月1日、放映されたTBS系のTV番組“ひるおび”のコメンテーターとして出演していた時、「政党復活予算*6の廃止(小池知事が廃止)は、(廃止されても都庁職員は困ることはないが、)“知事独裁”が怖い」と力説しているが、他の出演者から「そうなると、他の府県はすべて“知事独裁”となってしまうのではないか」と指摘されている。
“予算編成は知事の専権”、“予算案の審議・決定は議会の権限”。佐々木教授の主張する二元代表制の原則から言えばそうなるはずなのに、“政党復活予算枠”を通じて知事と並んで議員が二つ目の代表として予算編成に関わることが、あたかも“民主的な予算編成”と言いたいようだ。しかし、これは、都議会多数派の実力者と都庁職員との癒着(「悪しき慣習」浅野史郎前宮城県知事)の象徴にすぎないのではないか。
   *6政党復活予算枠とは、「都議会の意見を予算に反映させるために始まった。東京都独自の仕組み。
 
■備考(二元代表制とは)
立法府を構成する議員と行政の長をそれぞれ直接選挙で選ぶ制度で、議院内閣制とは対照的な概念。二元代表制では、議員は法律や予算などを審議・決定する権限を持つが、その執行は行政の長が責任を持つため、立法権と行政権の分離を徹底できる利点がある。
日本では、憲法93条で、地方自治体の首長と地方議員を住民が直接選挙で選ぶ二元代表制をとるよう定めている。一方、国政では、直接選挙で選んだ議員で構成される議会が首相を指名し、その首相が内閣を組織する「議院内閣制」をとっている。(日本大百科全書:ニッポニカの解説/抜粋)