最近、またブログを書く機会が増えてきた。

まぁ、般若波羅蜜多心経を書いただけなのですが…。

 

4月末のGWくらいから激務が続いて、5月中は何とか凌いだ。

どうも最近、完璧主義のクセが出てきて、色々と何か足りないような気がしてならない。

最近あったことと言えば…、

 

①メンタル不調の友人に、もっと頑張れ的なことを言ってしまった。

②一緒にサッカーをやっている人にプレイ中の言い方(試合中は熱くなってしまうので言い方がキツイらしい)を注意された。

③昨日相乗りタクシーで帰ったのだが、上手く割り勘ができなかった。

④仕事を進めている中で、何も言われないことがとても気になる(何か言って欲しくなる)。

 

①については、正直大きなお世話で、抗うつ薬を服薬していない状況で、友人がメンタルが低下していると言うので、薬を服薬していないってことは状態が安定しているということなのでは?と言ってしまった。

でもメンタル低下の程度は人によって感じ方は違うので、本人がメンタルが低下していると言ったら、そうなのだろうと思う。

そこからどうやって本人が抜け出すのか、はたまた、抜け出せないのかは他人がどうこう言うことではない。

他者はただひたすらに本人の話しを聴くしかなく、手助けも本人が望まない限り大きなお世話なのだ。

 

②については、まぁこれもトラウマ的に過去に「ジルの言い方は良くない」と他の人が言っていたことを人づてに聞いたことをまた思い出した。

若い頃も「ジルは人の話しを聞かない」と言われたことがある。

学生時代は、サッカーの試合中、ずっと声を出していて、それがチームのモチベーションになると思っていた。

けど、時代も変わり、年齢も上がり、チームも変わっているので、それがいつも通用するとは限らない。

まぁ、熱くなっていたのは事実なので、次回からは少し冷静になれるのかな…とも思う。

 

③については、酔っぱらっていたのもあるし、相手の家が自分の家より遠くて先に降りてしまったし、それより先に降りた人たちはお金すら払っていないので、考えすぎなのかもしれない。

これも今までの慣習が分からないのだが、適当に後でお互い払っていたのかもしれないし、持ちつ持たれつで適当にやっていたのかもしれない。

 

④については、もう思考のクセなので、何か言われて対処して安心するクセがついている。

結局のところ、他者から何か言われて、一緒にやったという安心感を得たいだけなのだろうと思う。

要は責任の転嫁なのだろうと思うが、完璧にやりたいという欲求からくるものだろうと思う。

完璧なんてないのに。

 

 

先週、2ヵ月ぶりの診察だった。

その中で主治医が「心の穢れを綺麗にしているんですよ。人は穢れが溜まるので、死ぬ過程で綺麗にして行っているんだと思う。人生で大きなこと(うつ病)に出会ったことで、そのきっかけを得たのだと思う」と言っていた。

 

でも、こうとも言っていて、「心の穢れをうまく掃除できない人も中にはいる」、と。

 

正直、自分は心の穢れを綺麗にしている感覚は無いのだが、少なくとも違和感に気がつくことはできるようになってきた気がする。

何か今は不調っぽい、何かに拘りかけている、何か固執しまいそうになっている…。

おそらく、それは思考のクセで、死ぬまでこの癖は治らないと思う。

悪癖なんだろうが、それはもう自分自身のやり方なのだ。

今更、鉛筆の持ち方は直せないし、眠るとき左肩を下にして眠ることを止められない。

サッカーボールの蹴り方だって、早々治せるものでもなく、身体の洗い方だって、頭から洗うことを止められない。

 

ここ数日間に渡り、えらそうに般若波羅蜜多心経について書いたが、あんな境地には更々至っていない。

知識としてはあるが、体験としては得られておらず、ほぼ煩悩の限りを尽くして生きている。

 

ただ、まぁその煩悩の限りに生きていることを今は認識できているので、良いのかもしれない。

その程度の人間だし、その程度の認知しかできていない。

 

…とまぁ、またマイナス思考の渦に巻き込まれそうにもなるが、今はその手前で留まっているような気もする。

でも、ブログを書いているということはやっぱり少し不調なんだろうと思う。

文字にして、思考をアウトプットすることで、今の心情を確認する。

文字にして、思考をアウトプットしないで済んでいるときは、調子は良いのだろうと思う。

 

今日はここら辺で…。