11月12日

 

藪も枯れ秋の廃物散策シーズンがやって来ました~!

 

兼ねてから気になっていた砂川の廃線跡を探索します

 

国道12号を北上

 

12号も南下は信号に掛かる数も少ないような気もするが

 

北上は信号に引っ掛かるのが多い…気のせいかな…?

 

休憩で止まったコンビニ駐車場前に煉瓦の建物

 

元々何の用途の建物だったのか?ま~明治時代頃から有った建物なんだろう

 

私有地か?微妙な所だけど建物の横の道を通りながら見学をする

 

煉瓦作りの建物は萌えるよね!グラサン

 

出発が遅かったので奈井江で昼飯

 

民家の様なお富さん

 

奈井江の焼き鳥が食べられるかも?なんて思って来たけど不定休なお店で休みだった…💦

 

でもって第二プランは、奈井江と言えば吉野鮨

 

教えて頂いた情報では、昔、ラーメンと酢飯(具が無い)のセットメニューが有ったらしく聞いてみた!グラサン

 

私の聞き方が悪かったのか?昔の事を知らない従業員さんだったのか?

 

話しが通じなかった…💦

 

 

今日は昼宴会が入っているらしく、客入りが多そうで忙しそう…

 

寿司カウンターの中で腰が直角に曲がった婆ちゃんが寿司担当

 

ラーメンに寿司セットにしましたよ~

 

シャリの形が個性的?いいのよ~いいのよ~奈井江のお寿司屋さんなんだから~(笑)

 

食後移動して目的のエリアに到着

 

三井系列の工場が多く入る工業団地

 

三井化学 (←コレ結構面白い)三井鉱山が発祥の企業

サンアグロ 日産アグリ(株)が三井東圧肥料(株)の全株式を取得し事業統合。サンアグロ(株)に社名変更。(肥料の会社)

王子コーンスターチ 王子製紙株式会社(当時)と三井物産株式会社の出資により設立されました。

ダイセルファインケム → ダイセルの系列で、大株主には三井グループ各社が名を連ね、

                                    三井文庫の賛助会社でもあるため、三井グループに属する。

三東商事 三井東圧化学の流れを組む会社なのか? 

         取引先:三井化学(株)、北海道三井化学(株)、北海道サンアグロ(株)、王子コーンスターチ(株)

村田施設工業      プラント屋さんだね!

 

 

チョッと戻って豊沼駅

 

普通駅って言えば、国道側から駅前通りを抜け「駅」に行くと思うが、

 

国道側からは行く事が出来ない、珍しい駅だ!(後で何となく理由が分かった…)

 

しかも、駅舎は大きいが駅前ロータリーが未舗装ってものな~

 

岩見沢-滝川間の各駅の中では唯一、駅舎が国道に向いていない駅だそうだ。

 

今日は、豊沼駅を旭川方面に出た先で分岐する、三井東圧専用鉄道跡を探索する

 

跨線橋に上れば、分岐していた場所が確認出来るだろうか?

 

ネットで検索した情報によると

1942年(S17) 東洋高圧工業専用線2.1km敷設使用開始

1968年(S43) 三井化学工業と、東洋高圧工業が合併し、三井東圧化学となる

1990年(H02) 三井東圧専用鉄道廃止

 

石炭化学とは?(三井化学のHPから引用です。)

石炭を高温で乾留すると、コークスと石炭ガスが得られ、副産物としてコールタールが残ります。

このコールタールを使って染料の原料になる「アニリン」を抽出したのが石炭化学の始まりです。

以降、合成アンモニア、プラスチック、溶媒のベンゼンやトルエンなど、

化学工業の基盤となる製品が石炭から生まれました。

 

三井東圧のベースとなる東洋高圧工業ってどんな会社?↓

1933年(S08) 三井鉱山化学事業の合成アンモニア・化学肥料などの事業をさらに拡大するため、東洋高圧工業を設立

1939年(S14) 東洋高圧工業が北海道に進出。北海道工業所(現・北海道三井化学)起工式

1941年(S16) 建設中の東洋高圧北海道工業所アンモニア合成工場

1948年(S23) 世界初の肥料用尿素大量生産開始(北海道)

 

 

戦後復興期

食料危機打開に向けて尿素増産へ

戦後、食料危機打開のために、化学肥料の増産が国策として打ち出されました。

そのため硫安の増産が必要でしたが原料の硫酸が不足していたため、

アンモニアと炭酸ガスを合成して製造する化学肥料、尿素の量産が望まれました。
そこで東洋高圧は世界初の尿素の大量生産工場を、昭和23年(1948)北海道に完成させます(現・北海道三井化学)。

すでに大牟田や彦島では生産を行っていましたが、コストがネックになっていました。

その問題も、大量に生産できる設備を整えれば硫安にほぼ匹敵するコストで生産できることが分かったため、

北海道工場建設に踏み切りました。

さらに大牟田も、製造プロセスなどを改善し、昭和25年(1950)に尿素製造設備を建設。

戦災を免れた彦島工場でも苦心の結果、新設備を増強することができ、復興の支えとしての役割を果たします。

こうして東洋高圧は、化学肥料の最大手企業として急成長していきました。

 

 

さて、跨線橋に上って旭川方面を観察したが、三井東圧専用鉄道の分岐箇所は分からない…

 

この豊沼駅が国道と反対側に駅舎が有るのは、

 

航空写真は、1976年(S51)

 

線路の国道側に、三井東圧専用鉄道の引き込み線や、北海道電力砂川発電所の貯炭所が有ったかららしい…

 

「列車が来ます!」とけたたましい音量で注意放送が鳴る

 

来たのは、岩見沢行きの単行のディーゼルだ

 

ワンマンでも無く、車掌も運転士も乗っていた、しかも二人とも若い

 

運転士と車掌がホームに降り駆け寄り何か相談していた

 

こんな初歩レベルから、快速や特急が乗務できるベテランにと成長して行くのだろう

 

豊沼駅から旭川方面に向かう踏切に来た

 

6号踏切

 

踏切内から旭川方面を確認

 

現函館本線の複線より、架線柱が左に広いのは、三井東圧専用鉄道が左に分岐する為だ

 

矢印上矢印の辺りに、三井東圧専用鉄道の線路が残っているそうだが藪で確認出来なかった…

 

歩いて行けばホンの近くなんだけど、現役の幹線なので止めておく

 

国道12号線に豊沼橋が有る

 

豊沼駅から分かれた、三井東圧専用鉄道は、この豊沼橋の下を通り三井東圧化学の工場敷地に引き込まれていた

 

銘板には今でも「三井東圧専用鉄道」名前が残る

 

この豊沼橋が完成したのは、昭和54年11月なので三井東圧専用鉄道の廃止前だ

 

橋のふもとから法面を下りる

 

夏場だったら藪でレールも確認出来ないだろう…

 

函館本線との分岐方向に進む

 

苔むした枕木、フォトジェニックだな!(笑)

 

レールは残るが30年以上前に廃止されて支線なので、その後に生えた木も成長している

 

枕木が完全に腐って、犬釘とタイプレートがレールにぶら下がっている場所もある

 

沢筋を渡る橋梁

 

アイビームで作られたスパンの短い鉄橋

 

土止壁壁に銘板が有った、竣工昭和56年12月28日 

 

しゅうんこうの「功」って功績の「功」とか色々な字を使うんだ~

 

直ぐ横には、現役の函館本線の橋梁が見える

 

通過する列車と、廃橋梁のツーショットを撮りたかったが待っていると列車は来ないものだ…💦

 

戻って、国道の豊沼橋の下に来た

 

橋の下で風雨にされされないだけで、30年経っても現役当時と変わらない枕木

 

その先は、枯れ藪が酷く探索を諦める

 

見逃してしまったが、北側から三井化学の敷地を覗くとフェンスの内側が三井東圧専用鉄道の軌道跡だそうだ

 

敷地内にも多くの引き込み線が有った

 

航空写真は、1948年(S23)

 

航空写真は、1976年(S51)

 

現在のグーグルマップ

 

写真左下は、北海道電力砂川発電所

日本発送電と東洋高圧工業の合弁による「石狩火力発電」により電力不足解消と

東洋高圧工業砂川工場への電力供給を目的として1940年より建設を開始し、

太平洋戦争に伴い中断された後戦後1951年に完成

 

砂川発電所の建屋の近くまで、三井東圧専用鉄道の支線が引かれていた

発電所の燃料の石炭も鉄道を使い搬入したのか?とも思ったが…

 

Wikipediaに寄ると↓

「1957年以前(昭和32年以前):駅裏南側に石炭荷卸し場及び貯炭場を設け、

 国道12号を跨いで発電所までの運炭用ベルトコンベア設置。石炭荷卸し専用線400m敷設」

だそうだ。

 

と言う事は、1951年頃から1957年前までは、三井東圧専用鉄道を使って石炭を搬入していた可能性も有りかな?

 

1982年には1・2号機は老朽化の為廃止

2027年3月末で設備の経年化により、3号機と4号機も廃止される予定

 

発電所の敷地も三井の工場の一角?に有って

三井炭鉱で取った石炭で発電して、三井の系列会社に売電する、三井と関係の深い発電所だったようだ

 

参考(近くに有った三井系列の炭坑)

三井美唄炭鉱 1963年閉山

三美炭鉱    1963年に閉山した三井美唄炭鉱の一部は三美炭鉱として継承されたが1973年に閉山

三井砂川炭鉱 1914年(大正3年)砂川鉱業所創設 1987年(昭和62年)砂川鉱業所閉山

三井芦別炭鉱 1943年操業開始 1992年閉山

 

今でも操業する露天掘りの会社

株式会社 砂子組 三笠奔別の自社鉱区で採炭

北菱産業埠頭(石炭部門)  三菱系列

 

一つの工業団地や廃線跡も調べてみると色々興味深い事が分かる

 

秋の陽は短い、出発も遅かったが、三井東圧専用鉄道の探索にも時間を費やし

 

第二プランの廃物散策には時間切れで行けなかった

 

このまま真っすぐ帰ろう💨

 

本日の走行距離:141km