7月11日 日曜日
イマイチの予報だった週末の天気
なんか大丈夫そうだったので昼前から乗って来ましたよ!
無計画だったので定番のルート
国鉄万字線 上志文駅跡
石碑の前にも花が植えられ地域の方にも愛されているのが分かる
ホーム側だった扉はダイヤル錠で施錠
学生の頃、このダイヤル錠の開錠は得意だった
勝手に開けて入ったら不法侵入になっちゃうからね…やらないよ~
でもさ、金物の取り付け方が逆だし、ドライバーで外されちゃうね💦
ホーム側の庇柱は古レール
BV&CO LO 1907 と読める
ボルコウ・ボーン株式会社(Bolckow, Vaughan & Co.)イギリスの会社だそうだ
110年以上前だ、まだ日本で鉄道レールが作れなかった頃の物だろう
道道38 万字方面に進む
右手に鳥居が有った、上志文八号神社
八号とは地名だったのか?8番目の神社なのか?
圃場整備之碑
旧国鉄万字線跡地も取り込み圃場の大型化をしたそうだ
炭鉱街だった朝日の街中を散策
道道38を中心に魚の骨の様に路地がある
殆どの家が、炭鉱時代から建て替えたり、リフォームされているが
木造の炭鉱長屋風の建物も残っている
朝日唯一だったスーパー高橋、閉店してしまったのだろうか…
ナゼかこの朝日でしめ鯖が有名だったんだよな~
旧国鉄万字線 朝日駅 今でも丁寧に保存されている
朝日駅の裏に、朝日炭鉱があった
旧道道38を走るが倒木で通行止め
川底の地層が気になり見ていたら足元に蛇が3匹も居た…💦
熊や鉢も注意だが、蛇も気つけないと…
美流渡の駅跡に来た、今はバスのターミナルに、一日何便のバスが来るのだろうか?
駅跡地は広い
付近を散策していると、弧を描くコンクリート壁を見つける
きっとこれが円形になって埋まっているのだろう?
1962年5月(昭和37年)
過去の航空写真を確認したら、美流渡駅に併設して貯炭場らしい建物が建っている
1976年10月(昭和51年)の航空写真だとコレね!
旧道道38を万字方面
国鉄万字線の踏切跡
36年前に廃止された国鉄万字線、田舎なのが幸いして踏切跡も残っている
万字駅跡は簡易郵便局
近くには、髪の毛が伸びるお菊人形の萬念寺がある
直進は、万字炭山方面
こんな藪の中に万字線廃線跡が有るなんて教えて頂くまでは知らなかった…
おっと!2回目(>_<) 流石2回目になると、だいぶ手前で発見できる!
こんな山奥に来て遊ぶヤツが居るんだ!静かな過疎地なので迷惑な事だ!
数年前は、建っていた家屋だが崩壊が進んでいる
現道道38英橋より、旧二代目英橋を見学
炭鉱会社は寄せ集めな資材で作ったそうだ
橋の所有者が居るのか?崩壊しても影響が無いのか?大分朽ちているが放置されている
おっと!3回目(>_<) 今日は、ラッキーな日なのか!
正面は、万字炭山駅跡、ホームが残っているが今のシーズンだと藪で見えない
万字小学校跡
この山奥の小学校でも6000名以上の卒業生が居る
「ダイヤ輝く校章」に…石炭が黒いダイヤと呼ばれていた頃の校歌か
因みに「万字炭鉱」の万字は、当初の炭鉱会社(朝吹家)の家紋「卍」にちなみ万字炭鉱と命名した
降水確率は低かったが峠付近で雨に当たる
高圧線鉄塔は、北炭清水沢発電所で作った電気を各炭鉱に送電していた鉄塔
峠を越えて夕張市に入る
丁未風致公園、遭難事故多発、熊出没中…
数年前位は、夕張なんかどこでも入れた様な感じがするが、最近はどこも「立入禁止」の看板が立つ
自然に帰りつつある廃遊園地、SL館の張りぼてのSLもだいぶ朽ちてきた
普段はバリケードがしてある橋が、今日は解放されていた
先に進むと、高松跨線橋
航空写真は1966年7月(昭和41年)
この下を、鉄道が走っていたんだね~知らなかったな~
人通りの無い高松跨線橋で今日のランチ
前回、百均で失敗したので、スーパーで名の知れた商品にしてみました(笑)
パスタは、家を出る時に水に浸したのでちょうど良い感じにふやけていましたよ
沸騰後、加熱2分でアルデンテ手軽で良いね!
食後は、夕張を徘徊
あの「のんきや」の先がどうなっているか確かめに行ってみます
ほんの少し行ったら通行止め
廃墟同然の建物なんだけど、見学は30分で3万円、ユーモアの有る地主さんだね!
中に入れたくない地主と、入りたい廃物好き、この先にそんな面白い物でも有るのだろうか?
市役所近く某K整形外科の廃墟、YouTubeでも見れます
入った事は無いけど、少し前までは簡単に入れそうな環境だった…
個人所有だけど、張り紙が夕張市役所ってのが面白いね
K整形外科前の歩道の階段は、映画の撮影でも使われたファンには有名な聖地だそうです
マウントレーイスイスキー場は今年は営業出来るのだろうか?
本日の走行距離:136km