長い人生の中で、何かに「気づく」あるいは「気づかされる」
ことがあります。
多分、多くの方が前者の気づきは総量として少なく、後者に
よって仕事や私生活で気づきを得る機会が多いのではないで
しょうか。
かくいう私もその1人です。
どんな組織(家庭も)においてもコミュニケーションの大切さ
については、耳にたこができるほど聞かされていると思います。
でも、その「大切なのは知っているよ」と「知った上で○○を
しているよ」、という後者の実行を伴った意識で日々を送って
いる方は少ないように思います。
私も偉そうなことは言えませんが、得てして青天の霹靂!の
ような状況下で初めて気づき、後悔したり、自分の不甲斐なさ
を恨んだり、あるいは相手を逆恨みしてみたり…、という事が
あるのではないでしょうか。
自分の部下や後輩から、「ちょっとお話しがあります…」という
場面は経験されたことがある方もいるかと思いますが、こんな
発言を受けた時点ではちょっと遅い、というのが現実かも知れ
ないですね。
普段の業務に忙殺されてなかなか部下や後輩と話す時間をとる
ことができない、というのも事実かと思いますが、日々顔を
合わせて「最近どう?」という類のものをするだけがコミュニ
ケーションではない、というのも同時にご存知の先輩諸氏は
多いと思います。
そこで、最近実感するのが日々の中で後輩やメンバーの異変を
察知するのは「あいさつ」に大きな機会がある、ということ
です。
当たり前のような話ですが、この「あいさつ」をないがしろに
している組織が多いのも事実だと思うんです。
出勤や外出、帰社のときにボソボソ小さい声でしか挨拶をしない、
もしくは無言だったり。
こういう状況が継続して日常化してくると、組織への雰囲気も
そうですが本人のスイッチが入らず、負の連鎖に陥ることが
如実に実感できます。
あいさつ程度で…?!
という印象を持たれるかもしれませんが、こんな日常の些細で
小さなキッカケが<サイン>になることを上席者たる人間は今
一度認識しなくてはいけないと思います。
もちろん、大前提として上席者がスイッチの入る「あいさつ」を
する、あるいは常に実践している、ということが大切なのは
いうまでもありません。