【十七条憲法と敬神の詔】

〜十七条憲法に敬神が表記されなかったわけ〜


聖徳太子は、新しい国のしくみを整えることに取り組みました。 色々な豪族たちの中から能力のある者をとり立て「役人」としたのです。 豪族と言っても十人十色、氏族の違いもある構成ですから、役人の心がまえを示すために、聖徳太子が自ら定めたといわれるのが十七条からなる憲法です。

この当時、仏教という宗教を取り入れたのは、当時の国の政策です。また、敬神とはそれ以前から普通に行われてきた信仰であり、神道は宗教ではありません。


憲法十七条には、

「二に曰く、篤く三宝を敬へ。三宝とは仏(ほとけ)・法(のり)・僧(ほうし)なり。」


と三宝を敬えと表記されています。


それでここで僕が疑問に感じたのは、この憲法の中に敬神のことが掲げて無いことです。


敬神のことについては憲法制定の後三年、推古十五年に詔(敬神の詔)を下して、


「今朕が世に当つて、神祇を祭祀ること豈に怠りあらんや」

と仰せられ、皇太子及び大臣が百僚を率いて以て神祇を祭り拝みたもうた 


ということが日本書紀に表記していますので、決して神祇の祭祀をおろそかにせられたわけではありません。

ではなぜ、十七条憲法には、神祇崇敬のことが書かれなかったのでしょうか?


それは、十七条憲法は当時の朝臣等に与えられた訓戒であって、この当時は、敬神はあまりにも広く普通に行われている常識であり、ことさらにこれを喩す必要がなかったからです。


例えば先代旧事本紀の説に、聖徳太子幼年の時、用明天皇の問に答えて、


「神道は根本なり、儒道は枝葉なり、仏法は花果なり」


云々といわれたのも、敬神を根本に置いて、外来の宗教を取り入れていたことがわかります。