【富士山の謎】
〜日本の先住民族、天孫族の故郷〜

伊勢地方の二見浦に夫婦岩があります。そこの二見興玉神社には皇居遥所があり、そこから夫婦岩の間から富士山が見えます。で、夏至の時の日の出はその富士山と日の出がコラボするベストショットが撮影できます。
伊勢神宮参拝は二見興玉神社(の海)で身の祓いをしてから参拝することが伊勢神宮の正式参拝の古来からのお作法と聞きます。

万葉集には富士山を題材にした歌がいくつかあります。例えば富士山を歌うこんな歌があります。
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妹(いも)が名も、我が名も立たば、惜しみこそ、富士の高嶺(たかね)の、燃えつつわたれ
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つまり、万葉集の時代には富士山は普通に伊勢地方からは認識されていたことになりますね。

でも、不思議なことに古事記、日本書紀には富士山に関する記述がないのです。富士は日本一の山であることは、その時代にも当然に認識されていたにもかかわらずです。
記紀に木花咲耶姫の話が出てきますが、そこには富士山の話とリンクしていません。
しかし、富士山の浅間神社には普通に木花咲耶姫が御祭神として祀られています(不貞を疑われて身の潔白を主張するために富士の火口に飛び込んでしまった伝説は、富士山と木花咲耶姫のお話しです。)。記紀の記述にはそのような記載とは別の表現になっており、あくまでも富士山は無視されています。
意図的に隠して富士山を記紀に表記していないみたいな気がします。

僕は天孫族が九州に降臨する前の、天孫族の高天原の歴史、富士山のふもとにあった天孫族の故郷、富士王朝の話を調べました。これは記紀に書いていない歴史です。

○記紀の歴史観は大切

我が国は、日本国の象徴、日本国民の象徴である天皇陛下をいただくお国です。記紀はその皇室の正当性を内外に示すものですから、僕は記紀の歴史観は大切にしたいと思います。なぜなら日本は天皇陛下を祭祀長としていただくお国なのですからね。