【出雲口伝の考察書、『出雲と蘇我王国』まとめ】
〜もう一つのパラレルワールドの世界〜

一般に出雲口伝と称して流布されている内容は、この著書を参考にして流布されている主張のことを指すと思われます。出雲口伝は、古文書は無い門外不出と言われている口伝なので、この解説書🟰出雲口伝と言って良いのかは、かなり疑問が残るところです。

この本の著者の斎木雲州(ペンネーム)は、出雲王家の向家の末裔である富当雄の息子を自称しています。

この著書の内容は、天孫族の記紀の内容とはかなり違う、もう一つのパラレルワールド的な歴史観であることが特徴で、この本の内容では、神武天皇の東征は否定され、その代わりに徐福の子孫の物部氏が東征を行っており、徐福はスサノオであり、物部であるという歴史観なので、
記紀を勉強している人が読むと、神武天皇はスサノオであり、その実体は徐福の子孫の物部だという結論に導かれ、神武天皇は実在しなかったという結論に導く内容です。

そして、徐福の家来が、徐福が来日する一年毎に出雲王国にスパイとして渡来して国王の信頼を得た後に、出雲の主王と副王を謀事により幽閉したという物語になっており、必然的に、徐福🟰スサノオ🟰物部氏🟰ニギハヤイのミコト🟰神武天皇は、悪党という結論に導き、天孫族は悪人という結論に導かれような物語に構成されています。

この本は著者の考察が入り混じって、何が出雲口伝なのか個人的な考察なのか区別がつかない構成です。なので、この本は、出雲口伝と言われるものに個人的な考察を混在させた一つの考察本だと思いました。

この本によると、  

出雲族は、サイノカミを信仰する民族で、サイノカミの主神は、クナト大神で、クナトという人は、古代インドのドラビダ族の王であったが、大勢の部下を連れて日本へ民族移動し、その子孫が出雲に住み着いた。
クナト王の子孫は、王家として、神門臣(かんどのおみ)家と向(むかい)家の系統があり、二王制の統治をしていた。
つまり、出雲族は、インドから渡来した渡来人であるという。

ニギハヤイのミコトは、徐福の和名であり、徐福は二度目の来日の後に、筑後国に住み、その子孫は物部氏となったと主張

その後、筑後の物部氏(徐福の次男の家系)勢力が、ヤマト地方に移住した出雲族を追い払い、ヤマト地方に政権を樹立し、逃げた出雲族は、北日本に渡来して住んでいた同族の土地に移住したと主張

北陸地方には蘇我王国があり、出雲と婚姻関係により親類となり同族意思が強かった。蘇我王国のオホド王は旧出雲王家の出身であると言う主張

出雲口伝と言われる物語の伝承者自身が、出雲族はインドのドラビダ族が渡来してきたものとしているところは、日本の先住民族ではないということを認めていることになります。


○まとめ
古代に出雲族がインドから来た渡来系であったとしても、現在は天孫族と同じ日本という国に住む同胞ですから、結局はどんな氏族の末裔も尊重し合ってみな融和して、良い日本を作っていきましょうと思います。

記紀よると、天照大神は、『豊葦原中津国(僕たちの今住んでいる世界のこと)は、是、吾が子孫の王たるべき地なり』と言われ、天孫族の瓊瓊杵尊を遣わせたのは、超古代の日本がいつの間にか、渡来人たちに占領されつつあったので、それを回復して超古代の日本の先住民である天照族と、渡来系である出雲族が将来、共存共栄できる現在進行形の日本国を作るという目的があったからなのかもしれませんね。