【吉橋侍従武官のお話から】

〜特攻隊の戦況をお聞きになった時の昭和天皇のご様子〜
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前年すでに「特攻隊」が発進していた昭和20年元日、軍装の「四方拝」が終わったあと、天皇、皇后両陛下は、お移りになったばかりの御文庫のお住まいで「晴れの御膳」をおとりになった。宮中では民間のように朝から、おぞう煮は召し上がらない。おぞう煮は「入夜御杯」といい、夜食のあとで召し上がられる。この料理を「ヒシハナビラ」といいまことに素朴な御膳である。

この年のヒシハナビラのモチは薄黒く色づいていた。厨房をあずかる大膳職が奔走したにもかかわらず、質のわるいモチ米しか手に入らず、モチは純白にならなかったのであった。ところが、元日のこの「晴れの御膳」が終わってから、軍からもうひとつのお膳が白布に包んで届けられた。小さな四角い白木のお膳で、尾かしら付きの鯛と赤飯とキントンと二合ビンの清酒がそえてあった。
このお膳は、連日のごとく出撃する特攻隊員に対し、その壮途にはなむけて出されていた料理であった。
両陛下は長い時間、この料理を静かにご覧になっていたそうである。それからそのまま武官府(侍従武官の詰所)にお下げになった。
侍従武官たちもはじめてこの料理を見たわけで、国に殉じ死へ旅出つ若者の心情を思うとき、ひとしく胸がつまる思いだったという。

一週間後の1月7日、陸軍侍従武官であった吉橋戒三氏(当時三十八歳)は、まことに貴重な体験を陛下と共有することになった。吉橋にはこの体験は忘れようにも忘れられない体験となった。

この日、吉橋侍従武官は、司令官が特攻隊員に与えた一枚の感状をかかえて、日暮れ近く御文庫のご政務室へ出かけていった。ご政務室はわず か六坪。この狭い部屋に六つの書棚があり、部屋をますます狭くしている。

吉橋武官は、陸下の机の上にルソン島リンガエン湾の地図を広げ、この日の上奏事項であるリンガエン湾の戦況について一通り、戦局報告を終えたあと特攻隊員に与えられた感状を取りだした。

「……よってここににその殊勲を認め全軍に布告する」

感状の決まり文句を吉橋武官は読みあげ、そして、

「この特攻隊員が突入いたしましたのは、リンガエン湾のちょうどこのあたりのようでございます」

とかがみ込みながら地面を指さした、そのときである。吉橋武官はそのイガクリ頭に、なにか微かな感触を感じた……。

その感触は、陛下のご頭髪であった。陛下はお立ちになり、最敬礼をなさっていたのである。いま、頭をあげれば陛下の額に自分の頭があたる、おそれおおくも、あわやゴッツンコである。吉橋武官はただじっとしていた。それはとてつもなく長い時間のように思われた。

〜吉橋戒三氏の回想〜

「電気に打たれたような感覚でした。御文庫を出るときも一種の興奮状態で、武官府へ帰ってからも、しばらくは口もきけない状態でした。遺族の方々にこの話をしてやりたい、遺族がどんなに慰められるだろうかと思いましたが、しかし、宮中のことは一切、外部に発表しないという不文律がありますので、戦後もずっと黙ってきたのです。いつも最敬礼を受けられる陛下がみずから最敬礼されるお姿というのは、私にとって名状しがたい体験でございました」