【中央の命令に服することなく出先の独断で行なう。朕の軍隊としてあるまじき、卑劣な方法】

         

昭和天皇の御意向

「満州事変の場合もそうであった。中央の命令に服することなく出先の独断で行なう。朕の軍隊としてあるまじき、卑劣な方法を用いることもたびたびある。陸軍のやり方はけしからん。今後は、朕の命令なく一兵でも動かすことはまかりならん。」


昭和13年7月21日 この年7月15日、ソ満国境で日ソ両軍が衝突して日本側は張鼓峰を占領しました。軍部はさらに対ソ武力行使の許可を求めましたが、昭和天皇は反対され、板垣征四郎陸軍大臣を強くたしなめられたのです。同年8月10日、停戦協定が成立。

(「西園寺公と政局」の内容から)