【慰霊について 秋篠宮皇嗣殿下のお言葉】

慰霊についてですけれども,これは戦後50年の機会に両陛下は大きな被害を受けた広島,長崎,沖縄と,東京大空襲被害での東京を慰霊されております。また60年のときに,これも多くの人が犠牲となったサイパンでの慰霊をされております。この慰霊について,やはり戦争中,そして終戦,それから戦後の復興を見てこられた両陛下にとって,その礎となった人たちのことを,考え,思いを寄せないわけにはいかないというお考えがあったと思います。そして1回慰霊をするごとに,また新たな事実を知るようになり,やはり慰霊をすることが非常に大切なことだという気持ちに自然になっていかれたと聞いております。

特に,サイパン。今の陛下にとってサイパンが取り分け印象に残っているのは,戦争がだんだん激しくなって,疎開が始まって,最初の疎開をされたのが静岡県の沼津だったのです。沼津の疎開中に,ある日学校の授業から帰ってきたときに,お付きの人からサイパンが陥落して,危ないので日光の方に場所を移しますということを言われて,それでサイパンが陥落したということが大変なことなのだと強く印象に残っているということを伺ったことがあります。いずれにしても,やはり戦争の中に日々の生活があった両陛下にとって,戦争の記憶を風化させることがないようにするという気持ちが非常に強くて,それが国内,それから海外での慰霊というものにもつながっていると私は理解しております。

子どもたちについてどのように伝えているかということですが,私たちも時々戦争の話を自分が知っている範囲で伝えることはあります。一方,子どもたちが御所へ伺ったときに,折々に両陛下から,その当時のことについてのお話がありました。先ほども申しましたように,私たちは戦争そのものを知らないので,自分の子どもたちに大事なことで伝えられることは伝えますけれども,なかなか当時の様子というのを正確に伝えることには限界があります。その意味からも両陛下から子どもたちへの話というのは非常に大切な機会であると思っております。

私たちが今までしたこととすれば,例えば戦争で大きな被害を受けた場所に一緒に行って,その場で慰霊碑に花を手向けたり,体験のある方から話を聞いたり,そういうことはいたしました。先ほど質問にもありました,今年が学童疎開船対馬丸の悲劇から70年という節目の年ということもあり,その行事に家族で出席をしたわけです。これはそのときに長女から聞いた話ですが,彼女は対馬丸のことを,私たちがそのときの話をしたり,沖縄に行ったときに当時のことを知っている方から聞いたことが最初だと思っていたのですが,学校の図書室に,対馬丸の,(妃殿下を振り向かれて)何て本でしょうね。ちょっと題名は分かりませんけれども,あって。小学校の低学年の頃だと思うのですが,そのときに本を読んで,そういうことがあったことを知ったということを話しておりました。私からは以上です。

       (平成26年11月25日)