【戦後ご巡幸の裏話①】
〜岸田英夫「侍従長の昭和史」からの抜粋〜

戦後巡幸の企画については、マッカーサーの「自由の指令」で天皇制批判も自由となり、天皇制廃止をスローガン に掲げた日本共産党が合法活動を始めたことなどもあって、政府首脳は及び腰になったのだろう。
「ただマッカーサー元帥だけはこれに対し全面的に賛成されていました。おいでになりたい時は何処においでになってもよろしい。なんにも遠慮に及ばん という意見を、直接陛下にお話しになったこともあるようです。当時としては、マ元帥の考え方が我々の唯一の力でした」
と、大金益次郎元侍従長はいう。
マッカーサーは日本に進駐当初、
「われらは、天皇を含む日本政府の現存政治形態を利用することであって、それを支持するものにあらず」(降伏後初期の米国の対日政策)
と いう米国政府の方針にしたがって、みずからは天皇制について否定も肯定もせずに、日本国民の自由な意志にまかせるという態度だったが、やがて米国政府から、次のょうな天皇制維持の方針を秘かに指示されていた。
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1946年4月13日SWNCCの「天皇制の取り扱い」と題する「覚書」ー
「a、米国は、共和国として、それが日本国民の希望であれば、日本に共和制政府が出現することを歓迎する。しかし、日本国民は天皇制の最も有害な部分を除去する意向を示しながら、国民の絶対多数は天皇制を完全に排除することを望んでいないのは明らかである。ゆえに、最高司令官(マッカーサー)は、天皇制の完全消滅を助成するために主導権を行使してはならない。

b、日本の君主制が、もし平和的で責任ある立憲君主制に改変されるならば、米国の占領目的と両立することになる。その種の立憲君主制の誕生は明らかに日本国民の大多数の支持を得るはずなので、最高司令官は天皇制を立憲君主制に変改する日本国民の努力を援助すべきである……」