【勅祭社(ちょくさいしゃ)】

伊勢神宮をはじめ天皇陛下のお使が、毎年あるいは何年目かの例大祭や臨時祭に参向し、奉幣せしめられ祭儀を行う特別神社を一名「勅祭社」といわれている。いずれも歴史的に由緒深い神社で、現在の勅祭社は次の十六社 である。古来皇室から撫物を賜わり宝酢の悠久を祈願せしめになった神社を「勅願所」と為されていた。江戸時代の宝暦年中特に勅願所とされた金刀比羅宮に対し、明治元年九月十三日に勅祭社とされ、その直後に武蔵野の水川神社が勅祭社となり、これらが勅
祭社の端を啓いたものであるという。

○賀茂別雷神社(京都)
○賀茂御祖神社(京都)
○石清水八幡宮 (京都)
○春日大社 (奈良)
○氷川神社(埼玉)
○熱田神宮 (愛知)
○出雲大社 (島根)
○橿原神宮 (奈良)
○平安神宮(京都)
○明治神宮 (東京)
○近江神宮(滋賀) 
○香椎宮(福岡) 
○宇佐神宫 (大分)
○香取神一宮(千葉) 
○鹿島神宮 (茨城) 
○靖国神社 (東京) 

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◯陛下のご親拝は、政治的にも国際的にも多くの反響を呼びます。戦没者慰霊の重要さは上皇陛下も今上陛下もよく承知しておられますが、とても参拝できる状況ではないのが現実でしょう。天皇陛下が靖國神社御親拝ができるような環境作りは、全て国民の責任です。その国民の責任を果たさずに天皇陛下に責任を押し付ける論といえます。

◯ 昭和50年の昭和天皇を最後に「天皇のご親拝」は途絶えていますが、戦没者を等しく悼む上皇陛下は在位中、勅使を年に2回、靖国神社に派遣し続けられてきたし、天皇陛下も立太子前、創立100年の節目に9歳で参拝されたことがあります。

◯ 靖国神社の例大祭は春と秋に行われ、春は通常、4月21日から23日までの3日間行われます。2日目の当日祭には、天皇陛下のお遣いである勅使が参向になり、天皇陛下よりの供え物が献じられ、御祭文が奏上されます。

◯勅使とは天皇陛下のお使いです。勅使は天皇陛下の命により靖國神社に参向されるのです。

◯宮内庁が出した【昭和天皇実録】には
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 昭和天皇が昭和50年を最後に靖国神社にご親拝されなくなったことについて、野党各党などの反対運動が影響したことが「昭和天皇実録」の記述から明らかになっています。宮内庁の富田朝彦長官の生前のメモを基にして、いわゆるA級戦犯の合祀(ごうし)が原因だったなどとしたマスコミ報道については、最初に日本経済新聞が報道した事実だけを記述しています。
 実録では50年11月21日の靖国神社ご親拝について、「終戦三十周年に当たり、同社より参拝の希望があり、また昭和四十年十月には終戦二十周年につき御参拝になった経緯もあったことから、私的参拝という形で行われた」と説明しています。
 しかしその後、(1)日本基督教協議会ほか6団体による参拝中止の要望書(2)野党各党からの反対声明(3)日本社会党議員による国会への質問主意書-が出され議論を呼んだとし、「靖国神社への参拝は、この度が最後となった」と記述しました。