あるアニメの一シーンで心に残るセリフがある。

文章はそのままではありません

「俺はかけがえの無いものが嫌いだ。あれが無いと生きて行けないとか・・俺は金が好きだ。金があれば何でも買える。物も買える、愛だって買える、欲しいものなんて何でも買える」

 

一見すると、実に卑屈で、荒んだ心の持ち主に見えるのだが、

反面、リアルで超現実的な意見にも思える。

 

体裁ぶらず、これが現実社会の実態だと言わんばがりである。

 

もう少し踏み込んで考えてみる。

「かけがえのないもの」とはどんなものがあるだろう?

 

文字そのままに訳せば「かけがえのない=変わりが効かないもの」となるだろう。

 

自分にとって必要とする拠り所として、代替えが効かないもの。

恋人や妻・夫・子・仕事・趣味・・・漠然とぞろぞろ出て来るが、

このアニメのシーンでは恋人に対する執着心に対する反論としてのセリフなので、この場合は

 

「誰かに執着する事に何の意味もない」という事を悟らせるための発言になる。誰かが誰かを指してかけがえのない存在だったから自暴自棄になる羽目になった。

では、その誰かだけが自分にとって大切で他の事はどうでもいいのか?と問われるのだ。

 

破滅的な事をやらかそうとしている者を引き留める為に、敢て

かけがえのないものは嫌いだと宣言する。

 

これは、西尾維新氏作「物語セカンドシーズン(ひたぎエンド)」より、登場人物 千石撫子に対する貝木泥船が発した言葉。

 

人を好きになりその気持ちを性格的に直接伝える事が苦手で

何事にも奥手で控えめ。人の目線に敏感で可愛いと言われる事が却って自分の本分を曝け出せずに息苦しさを憶える。

寧ろ貝木から「お前のその恰好、気持ち悪いぞ!」と言われ、

「撫子、気持ち悪いなんて言われたの初めて♡」と喜んでいる。

 

貝木「この女にとって可愛いは誉め言葉でも何でもないのだ」と

抑圧され偏執した精神を指して「狂っている」とまで言う。

 

 

これは二次元的創作世界でのフィクションで現実世界の出来事と相まみえない節は多分あるが、精神世界に於いて文学世界を完全に現実世界の人の思考や行動に反されていないかというと

それは明らかにNOといえる。

 

文学が人の思想から来るものなのだから人は共感・共鳴できるのだ。つまりは、世に存在する難解な文献も雑誌の様なものまで

、その価値や有意義性は観る者にとって等価値である。

 

それらを前置きしたうえで

 

我々が大切にしている物事は、時として心の拠り所として確かに有意義なものかもしれないが、それを掛け替えのないものに仕立て上げてしまう事の危うさもはらんでいる事を考えなければならない。

資産運用の為に投資先を分散したりするのと同様、心の依代に対する依存心も軽くして億工夫を講じておかなければならない。

勿論、人の心はそれほど起用に操作できるものでは無いのだけれど、一つの繋がりが断ち切れた場合にどう行動すべきかは、予め想定しておく方が良いだろう。

 

人の命は永遠ではないし、運命によってもたらされたと信じる人の縁も永遠を保証するものでは無い。

大切なのは自分から縋りつくようにその繋がりに縛られない事であり、等距離で人と繋がりを持ち、其処に公正な尊厳が維持できるよう心配りする事だ。

 

人との間の一方に裏切りが生じた時は、相応に距離を取り

媚びず、へつらわず、自分を守らなければならない。

 

冷静に深呼吸して歩むべき正しい道を歩く事を恐れてはいけない。ほんの一時、心が折れ、目の前の視界が歪んで見えてしまう時も、目を瞑って進むべき道を間違わない様に見出す気力が必要だ。