「雑草」は、「自然に生えるいろいろな草。また、農耕地で目的の栽培植物以外に生える草。たくましい生命力のたとえに使うことがある。」(広辞苑より)と定義されています。この時期になると、我が家の庭にも、そのような雑草たちがここぞとばかりに勢力を増大し、抜いても抜いても、一週間もするとまた新しい芽吹きを確認できます。まさに「たくましい生命力」を感じます。

 

私は以前、高校に勤務しており、そのときの学級通信のタイトルを「雑草魂」(あらくさだましい)とし、週1回のペースで発行していました。これはまさに、広辞苑に掲載されている定義の「たくましい生命力のたとえ」に該当し、「踏まれても踏まれてもたくましく生きていってほしい」との担任の願いを込めたものでした。

 

「雑草という名の植物はない」よく言われます。確かに、発見されているすべての植物には、その一種一種に学名や和名が付けられています。つまり、先人の研究者たち(たとえば、牧野富太郎博士)が丁寧に粘り強く調査を行い、発見したすべての植物に対して同定・命名し、それらの存在が明確に認識されています。

さて、ふだんの生活で、私たちは「雑草」と「雑草でない草」の扱いを、どのようにしているでしょうか。庭に「雑草」を見つけると、その種名を知っているか否かにかかわらず、駆除しようとします。その一方で、「雑草でない草」=「ふだんの生活に必要な草花や苗」は、お金を出して購入し、丁寧に植え付け、枯れないように一生懸命育てようとします。このような扱いの違いを俯瞰してみると、私たち人間は、なんて身勝手な振る舞いをしているのだろうかと思ってしまいます。だからと言って、「雑草」を生え放題にしておけば、私たちの社会生活に不都合が生じるばかりか、目的とする食料を得られなくなってしまうことにもなりかねません。(私は初任当初、一軒家の借家に一人暮らしをしており、そこには小さな庭があったのですが、「雑草」を愛でる目的で生え放題にしておいたところ、近所から苦情が殺到したという苦い経験があります。)

 

ただせめて、「雑草」を駆除する際には、それまで生きてきた生命力に敬意を表し、学名も和名も存在するその草の存在を認めてあげるような気持ちをもっても良いのではないかと思うのです。

 

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