たまたまかもしれないけれど
同じ言葉を
聞いた
緩和ケア病棟で
初めて
人間として扱ってもらえた
そう話す男性
ほんの少しの足の不自由さがあり
生きづらさを抱えながら
生きてきた
そう本人が話していた
がんの手術をしてからも
一人暮らしを続け
再発や転移が見つかってからも
一人暮らしを続けた
が
徐々に生活が困難になってきた
いろいろな思いがあるのだろう
社会に対しても
どことなく
反抗的で
怒りを露わにすることも
少なくなかった
誤解をうけてしまうことも
あったようだ
生きてきた道は
ひとそれぞれ
だからこその人生
せめて最期はおだやかに
“多くを望まない”
“あとは迷惑かけずに”
“痛いのと苦しいのはいやだ”
“また会おう”
せめて
おだやかに
そしてまた会おう