医療は誰のために

行われているのか

 

 

なんだか

やりきれない

 

 

何がなんでも

自分の意見を押し通す人もいれば

 

人の意見を優先して

じぶんの意見はグッとこらえる人もいる

 

 

じゃあ堪えた人が

納得しているか、っていうと

話は違う

 

 

声の大きい人の意見が通る

 

 

何の世界でも

何の場面でも

 

 

 

 

「抗がん剤をしたくないって

お父さんが言ってるんだから

私はそれを尊重したい」

 

「何を言ってるの?そんなことをしたら

死ぬのを待つだけ?一緒に住んでるんだから

説得しなさいよ」

 

「そんなこと言ったって。ほんにんが

いやっていうことできないでしょ」

 

「優しくないねえ。早く死んだほうが

そりゃあ一緒に住んでるあんたは楽でしょうけど」

 

「そういうこと言ってない。本人が嫌がること

できないってことでしょ?」

 

 

 

想像できる方は

想像できるだろう

 

時折見かける

 

 

結局この時

本人は

抗がん剤を行う選択をした

 

 

しかし

副作用が強く出てしまい

肺機能が低下

 

 

それが元で

予想を大きく上回って

旅立ってしまった

 

 

誰が悪いわけでもなく

何が正しいわけでもないけれど

 

 

 

医療は誰のためにあるのか

 

 

 

本当に

それでよかったのか

 

 

 

死をも含めて

 

 

生きていかねばならぬ

 

 

永遠の課題

 

 

 



 

同居のご家族は

旅立ちの後

本人を守ってやれなかった

あれだけ言っていたのに

自分が弱かったから、と

 

ご自分を責めていた

 

でもその一方で

 

 

「私ではない子供の意見を

聞いたのも、本人の選択だとすれば

それはそれかなって」

 

「ずっと一緒に暮らしていたのに」

 

 

正しい間違っているじゃなく

 

どれだけ

本人が納得して

生きたか

 

 

家族も

どれだけ納得して

支えられたか

 

 

 

本当に後悔がない、ってのは

ない

 

後悔を少なく

 

だね