おはようございます

 

涼しくなりましたね

 

みなさんのお住まいの地域は

今日は雨ですか?

 

 

ゴミ出しやら色々

やらねばならないことって

毎日何かしらある

 

 

こういう日々の

ルーチンができるってのも

ありがたいことなのだろうと

感じたり。

 

毎日を過ごして

その中に小さな喜びを感じられたら

それでよし

 

 

ですよね?

 

 

 

 

そういえば

普段

緩和ケアがなかなか浸透しない〜と

もがいていますが

 

 

”早めに緩和ケアを受診しておきたい”

 

そういう方も

少なくない、とも

感じます

 

 

最近の外来には

 

少しでも

早めに

受診しておきたい

 

そう主治医に申し出て

その後紹介をいただくことが

増えている印象です

 

 

一定の割合の

アンチ緩和の医師も

根深くいらっしゃいますが・・・

 

 

それはそれ

患者さんの希望を

断る医療者はいないでしょう

(いるかもしれないけど

少ないと思います)

 

 

”緩和ケアがあるからこの病院を

選んだ”

”治療をしないとなっても

緩和ケアがあるからここにきた”

”抗がん剤が意味のある間は

頑張ろうと思うけど、抗がん剤のせいで

動けなくなるのは嫌だから”

”薬で生かされるのはいや。そうでなくて

薬をうまく使って自分の意思で

生きていきたい”

 

 

 

患者さんは

自分の考えを持っていらっしゃることが多い

 

ただ

それを医療者に伝えることが

難しい

 

時間の問題ってのもあるかもしれないけど

 

私が思うのは

 

医療者側に

 

それらを

聞き取ろうという思いが

あるか、ないか、で

 

患者さんが

話せるか話せないか、が

決まる

 

 

診察室では

 

検査の結果や

治療方針などが

一方的に伝えられることが多い

 

患者さんはもちろんそれを知りたいと

思っているのだけど

 

実は

それ以外にも

生活の中での

困ったとかが

たくさんあったりして

 

 

聞いてみたいな、と思っていても

 

”じゃあ今日はこれこれの薬を

出しておきます。次の診察は何月何日で

時間はこれくらいでいいですか?”

”カチカチカチ(とpcとキーボードに向かう)”

 

すると

暗に

はい終了です、と言われているような気持ちに

なって

 

聞きたかったことすら忘れて

診察室を出る

家に帰って

 

ああ、これも聞きたかったな

あれも聞きたかったな

 

そう思い出す。

 

 

この繰り返し。

 

 

私も患者側に座るようになって

感じる

 

言いたいことは

半分言えたら合格

 

質問も

半分聞けたらいい方

 

忙しそうなんだもん

 

 

 

だから、というわけではないけれど

 

緩和の外来は

ひと枠の時間を長めにして

抗がん剤の治療中の方は

こちらから化学療法センターに

伺うようにしたりして

時間を無駄にしないよう

工夫しています

 

 

私一人しかいないから

それが最大の問題なのだけどね

(誰か一緒に働きませんか?と

小さくリクルート)

 

 

 

前を向いても後ろを向いてもいい

毎日生きていく

ただ毎日生きていく

 

 

明日が当たり前にあると思っている?

 

 

そうでもないのだ、ということ

 

 

知っているから

 

 



 

 

毎日の積み重ね

 

生きることって

 

そういうこと