緩和ケアというと


おだやかに生きるイメージでしょうか


しかし


現実には


案外穏やかばかりではありません


そりゃそうです


症状がとれても


きもちが

穏やかにとは

いかないときだってあるから



もちろん

体の症状がとれると

気持ちもらくになる


それは事実です


だから最大限の

苦痛緩和を行います



そして

生きるをみつめる時間を

穏やかに

する


治療を

安心して行えるように

整える




それでも

穏やかに

とはいかない



なぜか



いきるとは

それほどに

大変なことだからだと

思います



一点の曇りもなく

穏やかにいきる



理想です



なかなかそんなわけにはいかない


他の人とくらべたくなるし

ねたんだり

くやしがったり

かなしんだり



それが人間だから




そしてね


それでいいと思うから



緩和ケアは

そういう葛藤も

苛立ちも

ふくめます



綺麗事だけではすまない



精一杯いきるためには

安心が必要で

安心できる場が

必要なんです



だれにも気兼ねせず

きもちを話す



私のめざす緩和ケアは

生身の体当たりの

医療



本気です


いい加減なきもちではないことは

伝えたい

(それでも誤解されてしまうのが

つらいんだけどね)




「何時間も待って、ようやく聞いたら

“仕方ないです”っていわれて、一分で

診察終了」


「そんなことききたいわけじゃない」


「もっと人間として

みてほしいんだよな」




こういうきもち、はなせるだけで

らくになるよ、と

はなしてくださった患者さん



ある医師は言った

“雑談聞くだけでいいなんて

らくだよね”


雑談は大事

そのなかから

必要なことにきづき

まえにすすむ



愚痴を話す間に整理されること

だれにでもある



穏やかにいきるための緩和ケアは

ときに荒ぶる



しかし

凪をかんじたとき


生きていていい

生きようと

思えるのだと

思えたら






光がさす

雲の間からの光


放射線治療に伴う粘膜炎は

治療が終わってもすぐには改善しない

が、一週二週と時間が経過するにつれ

楽になる


その間は治療効果がつづきながら

徐々に消炎する


あせるけどあせらない

痛みを和らげ

ゆっくり休養

つばを、のみこむのもつらいから

いたみはできるだけとるように

する

痛み止め我慢しないが大切かも